黄昏の章

すべて不完全なるもの

─ 8 ─

 随分と、無礼な登場の仕方ではあった。
 が、千暁には自分がどういうスタンスを取るべきかの良い判断材料にはなった。
 そう、彼らは、無邪気な少年などではない。
 千暁も綾人もまだ小学生の頃は、勝手に相手の家の庭先にまで入り込んだことはあるが、玄関の鍵が開いていたとしても、上がり框に膝を付いて、家の奥を覗き込むのがせいぜいで、子供なりの節度というものを持っていた。
 つまり。
 礼儀を弁える相手だと看做されていない、対等な関係を結ぶ気など皆無なのだと千暁は結論づけた。
 並んでいると対照的なだけに、その特徴が際立つ二人の少年は、互いの美点を引き立て合っている。あどけなさを残す面、擦れたところ無い素直な笑み、歪みのない品の良さ、理知的な光を秘めた瞳。
 ただ見ている分には、理想を絵に描いたような少年たちだ。とても自分たちに害を為すような存在などとは思えない。
 いや、彼ら自身は、自分たちが為すことを害などとは思っていないのだろう。
「『縺れ』を『解き』に来たんだ、鳴海家の当主」
 にこっとマサヤが笑う。楽しみにしていた映画のDVDでも見に来たかのように朗らかな宣言だった。
「まだ、あなたたちが手を出さなきゃならないほど、『縺れ』てなんかないはずよ」
 紗夜の声は震えていた。
「それを判断するのは、解者である僕たちだ」
 大人びた口調でシンは答える。
「……この件は、夕月に任せてるの。あなたたちの出る幕はないわ」
「夕月も、おんなじようなこと言ってたけどー、『館』からはなんにも聞いてないしー」
「これでも、随分待ったんだ。いつまで経っても、夕月が『解』かないから、業を煮やして手を出すことにした」
 青ざめた紗夜は、唇を噛み締めるばかりで、返す言葉が見付けられないようだった。この場で唯一頼りに出来る紗夜が、そんな風では、事情がまるで飲み込めていない千暁は、尚更なす術などない。
「もちろん、鳴海家には散々お世話になってるしぃ、昨日の栗羊羹もおいしかったし、当主にまで手を出そうなんて思ってないよ?」
「もっとも、当主を優遇する必要も、もうなさそうだけど」
 安心させたいのか警戒させたいのか分からない、と言うより、いたぶるのが目的としか思えない言葉を重ねる少年たちに屈託はない。
 とりあえず、紗夜の身が今すぐどうこうされるということは無さそうだというのは分かったが、では彼らの標的が自分か綾人か、もしくは両方かという確信に近い懐疑は、なかなか不愉快なものだった。
 ──確かに、馴れ合う関係にはなりそうにない。
 怪我を負わされたときでさえ夕月には感じたことのない敵愾心が、千暁の中に生まれていた。それは、夕月が『解く』為に千暁の目の前に立ったとしても持ち得ないだろう、憎悪にも似たどす黒く、不可解な違和感さえ持っていた。
「……夕月と連絡を、」
「嫌だよ。夕月は嫌いだ」
 弱々しくさえある紗夜の言葉を遮ると、マサヤは口を尖らせて、ぷいと横を向いた。
「昨日、夕月と会ったけど、妥協点は見つかりそうにないね。気に入らなければ、あの大鎌を振るおうとする。話にならないよ」
 お茶と菓子をたかりに来たのだと、千暁は半ば本気で信じていたし、度を過ぎた悪戯に手痛いしっぺ返しを食らって、すごすごと帰っていった様子からして、話をするための訪問とは思えなかったが、シンはしゃあしゃあと言ってのけた。
 けれど、あの夕月が持つ大鎌を本気で怖がっていなかっただろうか。
 あれだけ余裕綽々で不遜な態度が、あの大釜を突きつけられた途端、怯えていた。あんなものを突きつけられたら、誰だって恐ろしいだろうが、そういう次元の怯えとは違うような気がする。
 ちらと綾人に目をやると、やはりまるで訳が分かっていないらしく、きょとん、とした顔をしていた。無闇に恐慌を来されても困るが、その、のほほんとした空気に一切変化が無いというのもどうかと思う。そう言えば、試合の時も一人緊張感とは無縁な奴だったなあと、場違いに暢気な苦笑が漏れた。
 シンの手から、銀色の光が溢れて、レイピアに似た剣を形作った。
「さっさと、『縺れ』を『解く』よ」
 その歳の子供が振るうには、余りに物騒な代物だが、しっくりと手に馴染んだ様子からも、その扱いに熟達していることが見て取れる。刀身の丈は短いがシンのものと対のような短剣がマサヤの手にも握られていたが、こちらは持たせておくのも危なっかしい手付きだ。
 さすがに危険を感じたのか、綾人は紗夜を背に庇うようにして一歩、後ずさる。千暁もそれに倣うように、紗夜の前に立った。
 シンは前触れもなく踏み込んできた。
 軽く飛ぶように一歩、腰より低い位置から突き出された剣の切っ先を、すんでの所で千暁は避け、綾人が紗夜を抱え込むようにして縁側の方へ動いた。
 一応、契約を交わしているとはいっても、この期に及んでその有効性を信じるほど千暁も平和ボケしてはいなかったし、それを知っているのかいないのかはともかく、綾人もこの状況下で紗夜が安全だと思うほど日和見主義でもない。
「大人しく『解』かれた方がいいよー?」
 向けられているのは紛うことなき凶器だ。糸の絡みを解くというのとは、わけが違うことくらいは想像に易い。
「『要』を外すと、無駄に怪我することになるしね」
 そう言うな否や、シンはレイピアを横に払った。咄嗟に動いても避け切ることは出来ず、千暁のジャケットが裂けた。
「千暁っ?」
「大丈夫。布が切れただけ」
 心配げな綾人に、なんてことはないとこれ見よがしに、ひらひら手を振った。実のところは刃先が擦ったらしく、脇腹に微かな痛みが一瞬走っていて、冷や汗をかいていたのだが。
 常人以上の反射神経を持つ千暁はもとより、綾人の運動神経も折り紙付きだ。二人掛かりでなんとかシンとマサヤから凶器を取り上げて,捕らえることは出来ないものか。
 そんな考えが甘いことを、すぐに思い知らされる。
 単独の動きは、様子見だったらしく、人を食ったような笑みを口の端に浮かべると、その後は水が流れるように、休むことなく剣が繰り出された。緩急を付けた動きは捕らえにくく、二対一だというのに、逃げるばかりで反撃の糸口さえ掴めない。
「ほんと、むかつくんだ、夕月には」
 昨日の意趣返しが本音らしく、それは不意に零した呟きのようなものだった。
 ひらりひらりと自在に剣先は舞い、時には下から突き上げられる。十分に溜めてから突かれたと思えば不意に横に薙ぎ払われる。刀身の細いレイピアの攻撃は基本的に突くことだが、刀身は両刃で、避け損ねればかすり傷で済みそうにはない。
 室内で防戦一方であるよりは、庭に場を移すか、いっそのこと、門の外へ逃げ出して,大声でも上げればこの場は凌げるだろう。でも、それでは何の解決にもならない。面倒な問題を先送りにするだけだ。
 互いに言葉を交わさずとも分かっているから、千暁も綾人も外へは目を向けなかった。
 それに、この狭さ故にシンの動きは制限されている。
 尤も、刀身が一メートルほどもある剣を振り回せる座敷の広さも、なかなか常識はずれではあるのだが。
 互いに間合いを見ながら、向かい合っていると、 「無理矢理でもケイタイ押し付ければ良かった……」  綾人の背で、ぽつりと紗夜がぼやいた。
 もし、彼らが夕月と連絡を取ることを承諾していたとしても、直接尋ねるか郵便しか手段が無い。今すぐに連絡を取れたとしても、ここに来るには最短でも三十分余りは掛かるわけで、その間に全てが終わっている可能性の方が高い。
 余程この事態に気が動転しているのかと思えば、表情は存外落ち着いていた。
 そんなことに、ほっとしたのは一瞬のこと。
 僅かな隙を突いて再び剣が踊り出す。
 マサヤの方は、シンの邪魔にならないようにか、体育の見学よろしく短剣を抱え込んで部屋の片隅にぺったり座り込んでいる。それはそれで、不気味だ。二人ともが攻撃してくるよりも、注意が散漫になっているような気がして、千暁は苛立たしさに出来ることなら蹴り飛ばしたくなった。
 余裕があれば、確実にそうしていた。
 滑るような足運びも軽やかに、息もつかせぬ勢いで繰り出される剣戟に、二人の息も上がり始めるのとは対照的にシンの剣捌きは冴えてゆく。
 状況は不利に方向に追い込まれていた。
 シンを捕らえるというのは諦めて、庭へ脱出するタイミングを千暁たちが窺い始めたのを見越したように、部屋の奥へ三人を追い詰めていった。
 ぱん、と音を立てて紗夜が襖を開け、更に奥へ逃げ込んでも埒は開かない。縁側の掃き出し窓に鍵が掛かっていないのは分かっていたから、出来ることなら、位置関係を、さらに贅沢を言うなら形勢も逆転したいところだった。
 それでも、既に服はあちらこちら切り裂かれ、多少の傷も負ってはいたが、だんだんリズムが読めてきて、少し緊張が緩んだのかも知れない。
 にっ、っとシンは微笑った。
 不意に動きが変わる。
 一瞬、綾人の反応が遅れた。
 致命的だった。
 そのままシンのレイピアがその身体を貫くことを、綾人自身も覚悟して、せめて巻き込むまいと、背で護っていた紗夜を、とん、と突き飛ばした。

 数瞬の後、悲鳴を上げたのはマサヤだった。



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