黄昏の章

すべて不完全なるもの

─ 4 ─

 少年たちの正体を悟っても、危機感さえも冷静に受け止める自分を千暁は感じていて、状況を静観していた。
 夕月の意識は、完全に千暁から切り離されており、全ては、突然に表れた二人の少年に向けられている。それが、少し寂しく残念だった。
「勝手に家ん中、上がってくるな」
 その言葉を向けられた本人でもないのに総毛立ちそうな冷たい声に、当の少年たちは朗らかにすら見える表情を崩す事が無かった。
「えぇー、一応、お邪魔しまぁーすって言ったんだよ」
 色白でお坊ちゃん然とした方が、やや舌っ足らずに、とろとろした口調でそう言うと、
「気付かなかったそっちが悪いんだ」
 と、こちらは対照的にいかにもクラスでも一目置かれていそうな雰囲気のある少年が、それに呼応する。
「応対を待てないなんて、行儀の悪い」
 夕月は不愉快そうに眉を顰めて言い捨てた。
 そう言う問題ではないような気はしたものの、口を挟めるような空気でもなく、千暁は夕月と少年たちを交互に見ながら様子を窺う。
「でさぁ、どうすんの?」
「『縺れる』前に、さっさと取り除いた方が面倒くさくなくていいよ」
 にこにこと。
 無邪気な笑顔に、ボール遊びをねだる仔犬ではなく、嬲るのに丁度良い獲物を目の前にした幼獣であることを忘れて、危うく千暁は警戒心を解いてしまうところだった。
「この件には、あんたたちは手を出さないで。鳴海と話もついてる」
「そんなの知らないよぉ。『館』からは何にも聞いてないしー」
「さすがに鳴海家の当主に手を出したら『館』が黙ってないけど、他は、僕らの裁量で『縺れ』を『解いて』いいんだよね」
 単語としての意味は分かるが、解者たちの隠語になっているのか千暁には分かりかねる会話が続いていた。
「わざと『縺れ』させてること、『館』に報告してやろうか」
「いいよー」
「どうせ、証拠なんかないしね」
 罪のない悪戯を、形ばかり咎められただけのような軽やかさで、少年たちは言葉を紡ぐ。
 苦々しげに口許を歪ませる夕月の表情から、これまでも二人が悪事を言い逃れてきたらしい事が千暁にも想像できた。見かけは随分と可愛らしい癖して、それを裏切る言動からも、相当な問題児という気がした。
「ああ、でも、それ、僕らに向けないでね」
「解者が殺せるんだもんね、解者のくせに」
 あどけない顔で剣呑な事を口にする少年たちは、千暁にとっては酷く不気味なもので、否応なく嫌悪感が生まれていた。
 しかも。
 ──今のは、どういう、意味だ?
 まるで、夕月が解者を殺した事があるかのような。
「うっわぁ、怖い顔」
「本当の事なんだから、怒んなくてもいいだろ、大人げない」
 この少年たちは感じなかったようだが、空気が裂けたかのような衝撃に千暁は思わず目を細めた。
 怒りに満ちている、というわけでは無いようだった。むしろ夕月の表情からは険しさが消え、虚ろになりつつある。それは、かつて千暁がその首に手を掛けたときに覗き込んでしまった暗い淵を思い出させた。
「お茶、ごちそうになりたかったんだけどなぁ」
「無理そうだから帰るか」
 何しに来たんだ、お前ら。
 部外者だと分かっていても、問い質したい衝動に駆られた。取りあえず帰ってくれるなら万々歳なんだからと、千暁が必死で抑えているのを逆なでするように、
「じゃあさぁ、僕たち、あっちの始末をしようか」
「その方が、手間が省けて良いかもね。こっちは夕月にまかせて」
 少年たちからは、お手伝いを思いついた子供のような笑みとは対照的な言葉が零されていく。
「こんなに長々と生きながらえてきたんだもん、もういいよねえ?」
「『越境者』たちの因子なんか、早々に排除していれば、面倒も少なくて済んだのに」
「最初から越境者を狩っておけば良かったのにねえ?」
「しょうがないよ、ちょうど解者不在の時代だったみたいだから」
「もしかして、『空白期間』って呼ばれてる、あの?」
「そうそう。それで、鳴海家と手を組むことになったんだよな?」
 その問いは、夕月に向かってされたようだが、当の本人は不快そうに眉を顰めただけだった。
 それが面白くなかったのか。
「話が分かんなくて、退屈?」
「宇野家って、昔から何にも知らない道化なんだってね」
 矛先が千暁に向けられた。
 軽い足取りで千暁に近寄ってきたのは、お坊っちゃん然とした方の少年だった。
 とことこという擬音が相応しいのは、そろそろ拙い年頃じゃないか、と他人の心配をするよりは、自分に向けられた言葉に対して怒りを表明すべきのような気もしたが、実際、自分がどれ程の無知かを認めてしまっていると、年下に生意気な口を叩かれた、という点以外に、怒るべきところが見いだせなかった。
 それよりも、奔放に交わされている会話の内容の方が遙かに気になる。
「ね?」
 無遠慮に顔を覗き込まれて、どう反応すべきが迷って出来た間に、すっと、それは割り込んできた。
 死神の大鎌が。
「大概にしな、マサヤ」
 いつの間に小太刀が姿を変えたのものか、大鎌の刃が、びたりと少年の首筋に当てられていた。そのまま僅かでも動かせば、辺りに赤い飛沫が散ったに違いない。少なくとも、千暁にそう思わせるだけの緊迫感が満ちており、さすがに、少年の顔にも恐怖が浮かんでいた。
「な、んだよ、僕の事も、殺すの? マリエたち、みたい、に」
 夕月にマサヤと呼ばれた少年は、数瞬前までの天上天下唯我独尊的天真爛漫さはどこへ消えたのか、濡れそぼった仔猫よろしく声までも震わせていた。が、手を差し伸べたくなるような哀れさなどなく、いい歳をした大人が万引きで捕まったような、みっともないという印象の方が強かった。
 その薄気味悪い違和感に、化け物をみるような目を少年に向けていた千暁を、夕月が昏い目で見ていたことなど当の本人は気付いていなかったが、奇妙な三竦みの図ではあった。
 そして、もうひとりの少年は、小さく溜め息をつくと、悠然と二人の方へやって来た。それもまた、十代前半の見た目にそぐわぬもので、何にせよ、解者というのはどこかしら、外見と中身にズレを感じさせるものなのかと、千暁は脱力したい気分になった。
 あと三年もすれば、千暁の身長を余裕で越してしまうことを予感させる、大きな手のひらから、銀色の光が立ち上ると、それは腕の長さほどの細長い剣に姿を変えた。形状としては、鍔のないレイピアといったところだろうか。その刃を、大鎌とマサヤの首との間に、すっと差し入れた。
「虐めんな」
 簡単に折れそうな華奢な外見を裏切って、強引に大鎌の刃を押し返すと、マサヤの身体をかばうように自分の方へ引き寄せた。
「っとに人聞きの悪い。誰がお前たちなんか手に掛けるか」
 面倒くさげに夕月が吐き捨てると同時に、大鎌は姿を消した。
「シン、マサヤにちゃんと首輪とリード、つけとけ」
「僕は犬じゃないっ!」
 半べそをかいてマサヤに取り縋っているくせに、きゃんきゃんと吠える気力だけは残っていたらしいことに、千暁は半ば本気で感心した。
「ほら、帰るぞ」
「やだ!」
 駄々を捏ねるマサヤに、シンは容赦が無かった。
 ごん、と頭のてっぺんに拳骨を落とし、呆然としているその首根っこをひっつかむと、
「また来る」
 と言い残して、出ていった。
 玄関の引き戸が閉まる前に、「今度はお茶ごちそうしてよ」という鼻声がして、どうやらそれが暇の挨拶だったようだ。
 図らずも二人してほぼ同時に安堵の溜息を吐いた。
「何だったんです、あれ」
「私が知りたいよ、そんなこと」
 精も根も尽き果てたとばかりに、夕月はぐったりとテーブルの上に突っ伏していて、幸か不幸か、二人の来訪前の毒気はすっかり抜けているようだった。外した眼鏡がすぐ脇に無造作に放られている。
「お茶でも淹れましょうか」
 薬缶を火に掛ける千暁に、両腕に埋めていた顔を少し上げた夕月は、物言いたげな目を向けた。
 眼鏡越しでない素顔は、夕月が解者であることを思い出させるけれども、脱力しているせいか、きつい印象は薄れていた。
「何です?」
「言葉」
「は?」
「戻ってる」
「え?」
「言葉。やっとため口になったかと思ったのに」
「ああ、そういえば」
 ゆっくりと夕月は身を起こした。
「まあ、どうでもいいけど」
 言葉の割には随分と不服そうな顔に、どう答えて良いのか判断しかねて、千暁は困ったような苦笑を返すことしか出来なかった。



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