永遠の原

05, 終幕


 そこを訪れたのは、ほんの数カ月前のことのはずだった。
 列車に乗り、ゆるゆると変わってゆく風景を眺めながら、久しぶりに会うミセス・グラスメアや、メイベルに渡そうと用意した土産を何度も確認し、目的の駅に到着するのを、子供のようにもどかしく待ちこがれていた。
 橋を渡り、いよいよ──
 だが、降り立った駅は、随分と古びた建物で、そこから一歩外に出てみても、真崎の記憶の断片と合致する物は何処にもなかった。
 そこは寂れた田舎町でしかなかった。駅員にB&Bを営むヘイワード家の事を聞いても知らないと首を振るばかりだった。秀則からの郵便物は確かに届いていたのだし、電話も通じた。地図で何度確認しても、間違いはない。けれどそこは真崎にとって未知の土地であり、まるで拒絶されているかのように肌に馴染まなかった。
 勘だけを頼りに、真崎は細い道を辿った。
 やがて、とうに朽ちて誰も済んでいない事の明らかな家屋が目立ち始めて、もしそこがあの町であれば、ミセス・グラスメアの家があっただろう場所は昔は柱であったのだろうと覚しき残骸が、枯れた雑草に紛れていた。
「……こんな所に何しに来た?」
 不意に声を掛けられて、慌てて真崎は振り返った。
 深い皺の刻まれた顔を、更に険しくさせた老人がいかにも胡散臭い人間を見るように、真崎を睨め付けていた。
「人を探していて……ミセス・グラスメアという方をご存知ありませんか?」
「ミセス・グラスメア? 聞いた事もないな」
「この辺りのカフェのマスターの娘さんで、メイベル、という娘も……?」
「ふん、わしの若い頃に、メイベルという名の娼婦ならおったがな、とうに墓の下だ」
「そうですか……」
 老人は面白くもなさそうに鼻を鳴らした。
「おおかた『永遠の原』に夢でも見せられたんだろう」
「……『永遠の原』はあるんですか?」
「幻を追う愚か者を『永遠の原』を目指す者と、この辺りでは言う」
 急に老人は興味も何も無くしたように、真崎に背を向けた。
 つい声を掛けようとして、尋ねる事など何も無い事に気が付く。老人は真崎が来た道を辿るように、ゆっくりゆっくり去って行った。
 真崎は更に先に進んだ。
 永遠の原。
 あの場所は何処だったのだろう……
 知らず、足は早まる。
 記憶の欠片が、つながってゆく。
 やがて、あの懐かしい風景が眼前に広がった。
 石灰質の巨石が無作為に散りばめられたその場所は、海の彼方から運ばれてくる暖流の風のおかげか、赤茶けた大地は既に緑に溢れて、早春の花も鮮やかにそのつぼみを広げようとしている。
 懐かしさ。
 風の中で目を閉じていると、あの、心安らぐ空気に再び満たされて行く感覚に身を浸し、そのまま溶け込めるのだと、真崎は半ば無意識に信じていた。

 不意に風が止んだ。

 鮮やかだった風景が、一瞬にして色褪せる。
 真崎は、自分が弾き出されたことを、拒絶された事を、知った。

「それで、風邪引いて帰国してから寝込む羽目になった訳ね」
 心底可笑しそうに、真詞は人の悪い笑みを隠そうともせずに言う。お茶を運んできたかずみは、まだ具合の悪そうに時々咳込む真崎に、申し訳なさそうな顔を向けた。
 お盆の上にはやぶ北茶と、近所の手焼き煎餅屋の醤油煎餅が載っており、香ばしい匂いを漂わせている。
「取りあえず、どうぞ」
「ありがとう……」
 鼻声で、あじがどう、と言う発音になってしまっている。
「でも、莫迦よねぇ、往復するのに半日以上掛かる所に、午後から出かけて行って、夜中に鉄道の駅にたどり着いて、朝まで待合い室で過ごして、この有り様なんて、正気の沙汰じゃないわよ」
「仕方無いだろう、まさかそんな事になるとは思ってなかったんだから」
 相変わらず人の悪い微笑を湛えたままの真詞は、初めて会ったときとはがらりと雰囲気が違う。白のデニムシャツにジーンズという極普通の格好をしていると、何処にでもいる普通の女性にしか見えなかった。尤も、見かけは別人のようでも、中身はやはりそのままで、言いたい放題というのは全く変わらない。それでも幾分刺々しさが薄れていうように真崎には感じられた。
「……永遠の原っていうのは、何なんだ? あの町はどうして無くなってしまったんだ……?」
 ぱりん。
 煎餅が割れる。
 真詞はその尖った割れ目を珍しい物でも見るようにしげしげと眺めた。
「唯の幻」
 ぽいっと口の中に放り込んで小気味良い音を立てながら噛み砕き、ごくりと飲み込む様を真崎は見つめていた。その視線に気付いていたから、真詞は殊更真崎の方を向かなかった。
「あの町にあんたが再びたどり着いていたら、多分、二度と戻っては来れなかったでしょうね」
「……よく分からない。毎度の事だけど……」
 ゆっくりと首を横に振る真崎をちらりと見て、薄目のお茶を慎重に冷ましながらすすり、真詞は言葉を続けた。
「上手く説明出来ないけど、角度の違いでまるで違う物が見える騙し絵みたいに、この現実とのほんの微妙なズレ……っていうのかしら、そんな所に存在している場所、というか。そしてそこは現実から時逃げたがっていたり、行き場が無かったりする人の中でも、極一部の人だけが認識できる。だから、そこにずっと存在していたし、これからも存在し続ける。でも、既にその世界を脱してしまったあなたや、普通の人には、あそこにはうらぶれた町があるに過ぎない。優しい人々も心癒される時間の流れもない」
「おとぎ話の国みたいなもの?」
「単純に言えばそう言えない事もない」
「もう一度あの場所に行く事は出来るのかな」
真詞の冷たい一瞥に、真崎は慌てて弁解をした。
「行きたい、って言うんじゃないんだ。確かに……居心地のいい場所だったし、だけど……」
「あの町を出るってことは、あの町が出て行くように望んでるからであって、そうでない限り、心地よい夢を見続ける。あの町と一緒に微睡み続けるしかない。一度取り込まれてしまったら、余所へ行きたいとさえ思う事はないのよ、普通は。そして出て行きたいと願っても、町が認めない限りは叶わない」
「まるで生き物だな……」
「世界は生きてる。そんな事も知らなかったの?」
 至極当たり前の事のように真詞は微笑った。
初めて自分の身体が細胞という物で成り立ち、またさらにその細胞が核を中心にミトコンドリアやゴルジ体、小胞体、細胞質、そう言った諸々の物質で構成され、さらにそれらは原子で作り上げられていると知ったとき、生きているという事の意味に酷く疑問を感じ、そして全ては生きているという漠然とした答にたどり付くに至った事を、真崎はふと思いだした。
「……『永遠の原』は現実との接点だから、あの町の住人達は嫌う。彼らは多分、現実には戻らず、戻れずに、あの世界の現象としてだけの存在となって、二度とこの世界に戻る事は叶わないだろうから……それでも、あの世界にもう一度足を踏み入れたいと願う? 一度出て行った者が、再び訪れたら、もう二度とあの町は手放そうとはしないと思うわ。でも、それもまた一つの選択だけれど。」
「もう二度とあの町には行けないんだな」
 それは推測ではなく確信だった。
 あの町は、最期に真崎に選択の機会を与えたのだろう。『永遠の原』で、彼を優しく包み込み、そのまま連れ去ろうとしたのだ。
 どうしてあの時、身を委ねようとしなかったのか、真崎自身の中でも未だ答は出ていなかった。ただ、既に自分の中に『永遠の原』から拒絶される何かを持っていたのだろうと、それは、現実の中で生きて行く為に必要な何かであり、幻想世界に住み続けるためには絶対的に不要な何か。
「手、出して」
 言われるままに、差し出した真崎の掌に無造作な程、ぽん、と置かれたのは、深い青色の石だった。
 その結晶の形はあの石と寸分違わなかったが、その色は、空の色を幾重にも重ねた深みを湛えていて、果たしてあの石なのかどうか真崎には分かりかねた。
「これ……」
「返して欲しかったんでしょう?」
「砕いたって言ったのは……」
「砕こうとはしたけど、私の力では出来なかった、というだけの事」
「本気を出せば造作もなくやれただろうけどね」
 にっこりと笑いながらかずみは言い添えた。 嫌な事を言うと、口で言うより雄弁なその瞳で睨み付けられても、涼しい顔をしている。
「……面倒だったんだからしょうがないでしょ」
「そう言う事にしとこっか」
「小憎たらしいこと言うわね」
 そう言いながら、真詞の表情は何処かほっとしたような安堵感に満たされていた。そして。
「ねぇかずみ、もし契約の破棄が無効になっても私に付き合う事、ないからね」
 そう言うとそれきり黙り込んでしまった。

 人混みの中、真崎とかずみは流れに任せてゆっくりと歩いていた。
 平日だというのに、大通り沿いの歩道は人で溢れている。ウィンドウの前で立ち止まり、きゃらきゃらと楽しげにお喋りをしている少女たちや、小難しい顔をしながら携帯電話で話しているサラリーマン、街路樹の脇や、店のドアの横でべたりと座り込んでいる若者・・不思議とそこは、年を経た人間の姿は少なかった。いわゆる若者の街として栄えているのだから、当たり前の事なのかも知れない。
「それ、どうすんの?」
 それには答えず、上着のポケットの中で真崎は蒼い石を握り直した。
「赤根の起こし方、知りたい?」
 一瞬、真崎の視線が動くのをかずみは見逃さなかった。
「簡単な事なんだ。……だって赤根はただ眠ってるだけなんだから」
 聞こえていないふりをしているのは明らかだった。肩の線が固く緊張しているのが見てとれた。
「別に、特別な力も何も要らない。よく寝てる子供を起こすようにすればいいんだから。……例えば、おはよう、って」
「あのさ」
「なに?」
「赤根がずっと言ってた『あの人』って……俺はずっと……」
 声が途切れる。
 雑踏の中に、一瞬沈黙が落ちる。奇妙な同調だった。
「……そうだよ」
 風が流れ込んでくるように、ざわめきが戻る。
「何処と無く真崎と似てるよね、あの人。」
 無言で顔をしかめた真崎を面白そうに眺め、かずみは微笑う。
「いいじゃない、綺麗な人と似てるんだから」
「そう言う問題じゃないよ」
「似てるものは仕方ない。でも悪い事ばかりじゃない。赤根は、多分最初あんたがあの人と似てるから、あまり警戒心も持たなかったんだろうけど……でも、もし赤根と出会わなかったら、真崎はまだあの町に捕らわれたままかもしれない」
 捕らわれた。
 小さな世界に。偽物の時の流れの中に。
 現実に引き戻してくれた腕は、赤根の存在だったのだろう。
「……うん」
曖昧に、真崎は頷く。
 赤根が、誰よりも愛していたのは、彼女。
 テレビのニュース番組でちらりと見ただけの、虚ろな暗い貌。
 確かに綺麗な女性だった。けれど、赤根がそこまで想うだけの魅力が果たして何処にあったのか、真崎には分からなかった。それを見越したように、かずみは話し始めた。
「彼女ね、本当に絵に描いたような『少女』だったんだよ。快活で利発で、ちょっと鈍いとこもあったけど、だからって繊細さに欠けてる訳じゃなくて……赤根とは違ってたんだ、感じるもの、感じるところがね。それは仕方のないことなんだけど……。向日葵と、水仙は同じ時には咲けないみたいにさ。そう言う違い……流石にね、違う季節に咲く花は……同じ時を生きる事は出来ないんだよ……それは仕方ない事だよね。赤根は向日葵になりたかった。憧れて憧れて……でもね、彼女は水仙になりたかったんだ。彼女は自分が他人からどう見えているかと言う事をそれなりに正確に分かっていた。自ずと華やかで他人を引きつける空気みたいなものを持っている事とか……ものすごい寂しがりやだとか……だから、いつも一人で、飄々としていた赤根に、一種の憧憬を持ってたと言っていいんだと思う。彼女の最大の勘違いは、赤根が独りで立っていられる強さを持っていると思ってたとこかな。本当は赤根は独りでいなくちゃ居られないほど淋しがりやだったんだから」
 独りでは居られないほどの淋しがりやというのは分かるが──。
 その疑念を表情から汲み取ったのか、かずみは痛々しいような微笑を薄く滲ませて続けた。
「人との別れほど、赤根を壊す出来事はなかった。いつか、彼女との別れが来ると確信してからは。どうしてだろうね、赤根は大抵の人間が、いちばん幸福な時には疑いもしない『永遠』というものを絶対に信じなかった。だから、毎日のように死にたがって……たった一度だけ、彼女の前で自殺未遂を起こした事があるんだ。」
「……自殺未遂って……」
「正確には、事故、に近いんだけどね。まだ二人が高校生で、そう、出会って一年も経ってなかった頃だったかな……」
 かずみは語り始めた。 

 文化祭の準備で最終下校時刻ぎりぎりまで学校に残っていたから、帰り道はすっかり暗くて……街灯も疎らな田舎だったからね……赤根はちょうど西の空に輝く宵の明星や頭上の夏の星座、特に気に入っていた蠍座のアンタレスとかを嬉しそうに眺めて……彼女は成績こそ学年で一桁に入っていたけど、割とそれだけのところがあってさ、だからそんな赤根が心底羨ましかったんだ。確かに見上げた空にはそれまでどうして気が付かなかったのかと思うくらい、満天の星が広がって、それは彼女にとって未知の世界だったから。尤も後にも先にも夜空の星に彼女が興味を持ったのはその時期だけだったんだけど。
 その日も二人して星を見上げながら夜道を歩いてた。近くに倉庫が多かったせいもあって、トラックの通行が多かったから、大抵注意はしていたんだけれど、話に夢中になっていた二人は後ろからトラックが近づいてきている事になかなか気が付かなかったし、トラックの方も暗い中で紺色の制服を着た二人に気が付くのは遅かった。ヘッドライトに気が付いて先に振り向いたのは彼女で、慌てて赤根の腕を引っ張って脇に寄ろうとした。でも、赤根はまるでヘッドライトの眩しさに射竦められたように動かなかった。彼女が渾身の力で引っ張らなかったら、少なくとも接触くらいはしてただろうね……。
 彼女も吃驚していたし、動揺もしていたけど、冷静さを失ってはいなかったから、赤根が動かなかったのは、足が竦んだのでも、吃驚して我を失っていたのでもなく、近付いてくるトラックが運んでくる事態に見入られたからだと直感で悟ってしまったんだ。
 赤根は死にたがっている。
そんな事実に気が付きたくはなかったろうね。
「あたしは恐いよ、赤根があたしの目の前で死ぬなんて、目の前じゃなくたって嫌だからね、絶対に!」
その言葉は赤根にとって楔となった。
 赤根にとって救いは、もう彼女が死ぬ事しか無くなってしまったんだ。彼女を殺したいというんじゃないよ。ただ、星を一緒に眺める、そんな幸福な時間を持ち得る時期は僅かなことだと、二度と訪れる事の無い奇跡なのだと解っていたから、赤根の絶望は深くなる一方だったんだ。

「どうして……友人としてやってくことくらい出来たんじゃないのか……? どうしてそんなにも別れを恐れて点いや、それほどに『永遠』に続くものを渇望したんだ?」
「赤根にとって、彼女が唯の友人、って程度の存在だったなら、大した問題にはならなかったよ。いくらなんでも、赤根にだって彼女以外の友人くらいいたんだから。」
「でも、彼女でなくても、これから幾らでも他人とは出会っていくんだしさ……」
「唯一の人なんだよ、彼女は。少なくとも、赤根はそう思ってた」
軽く真崎は顔をしかめた。
「なんでそう刹那的な考えを……」
「さあ。普通の家庭に育って、さほど経済的に困ったこともない。友達もそこそこいて、特に酷いトラブルもなく育ってる。
 でも、虚ろだったんだよ。どうしてかなんて聞かないでよ。そんなのは赤根自身だって、分かってないだろうし。
 ともかく、その虚ろを満たしたのが、彼女だった。
 満たされた瞬間から、失う恐怖に苛まれ始めるほどに、それこそ、他に何も見えないくらいに」
 それほどまでの思いが、やがて重荷にならないはずがない。
「……いっそ出会わなかった方がよかったかもな……」
「誰が?」
 柔らかな口調の中に冷たい色が混じる。それでも真崎は続けた。
「赤根にとっても彼女にとっても、だ。」
 振り返ったかずみが湛える微笑の、まるで幸福なおとぎ話でもしているかのような穏やかさに、真崎の感情は混乱する。
「赤根はね、たった数日だったけど完璧な幸福を手にした。それで残りの人生を捨ててしまえるほどに……幸福だったんだよ。」
 疑いも無く、真崎は納得した。
 そうでなくて、どうしてあの結末を選べよう?
「その僅かな日々が無かったら……幸福の意味も知らないままに、二十歳にもならないで死んでただろうね。彼女がどうだかは、こればかりは聞いてみないと解らない。」
 かずみは軽く首を横に振る。けれど、本当は知っているのだろうと根拠もなく真崎は思った。
 それにしても。
 かずみは一体何者なのだろう?
 唯の人間とも思えないが、かといって人間以外の者とも思えない──思いたくない。
 年の頃は十七、八。背丈はやや低めだろうか。百七十センチに届かない事は確かだ。長めのさらさらした髪は瞳の色同様色素が薄く、顔立ちは少女と紛うほど繊細──黙っていればの話ではあるにしても──、真詞と似たところはないせいだけでなく、血縁とも見えず、どういう関係なのか今一つ想像が付かない。
「真崎はさぁ、結構単純だよね。」
 憎めない悪戯っぽい微笑を向けて、小憎たらしい事を平然と言う。
「……何処からそういう発言が出て来るんだよ。」
「今、俺が何者かってこと、考えてたでしょ」
 とっさにごまかす事も出来なくて黙っていると、にやにやとした人の悪い顔をちらりと向けて、かずみは二三歩前に飛び出し、くるり、と振り返った。
「真詞と出会ったのは、かれこれ十年近く前の事。高校生になったばかりで、両親を失ったばかりだった。そして、リュカイアとして生きてくことを決心した時だ。
 本当なら母親に殺されるはずだった。でも幸か不幸か真詞は力を持っていた。強い意志、って言ってもいい。リュカイアの資質は、持っていても目覚めない人もいるけど真詞は、そのことがきっかけで目覚めてしまった。目覚めれば、リュカイアが何であるか、自分が何者なのかという事と同じレベルで理解する。
 リュカイアは大抵二人一組で行動するんだけど、真詞の場合は強い呪を使うから、その反動を受け止める助けである俺がいるんだ」
「……結局、お前は何なんだ?」
「さぁ……。かずみという名を得る前は人間だったかな。今は……何だろう。人間ではなくなってしまったみたいだけど……、真詞が使う力の、反作用の具象化って言うのがいちばん近い説明だとは思う」
「さっぱり解らないけど、それ以上分かりやすい説明もできないんだろ?」
「うん」
「最期に一つ。契約の破棄が無効になった場合、どうなるんだ?」
「さて。俺が全てを引き受けられればいいんだけど、出来なかった場合、真詞が赤根の代わりになるだろうね。」
 何でもない事のように、かずみは言った。

「つまらない結末だわね。」
 本当に、心底つまらなそうな顔で、真詞は言った。いつもの、窓辺の独り掛けのソファで。
「そう? ハッピーエンド、じゃない。」
「ハッピーエンド、ね。だからつまんないのよ。」
「真詞。」
 嗜めるようにかずみは真詞の名を呼んだ。
「俺が気が付いてないとでも思ってたの?」
 自分の額を真詞の額にこつん、とあてて間近で睨み付ける。
「──赤根がここの扉を叩く前から、出会った時から、真詞が死にたがってたことなんか、ずっと知ってたよ。」
 真詞は答えない。
 そっぽをむいたまま、しばし置いて呟いた。
「だから、真崎を巻き込んだのね。」
これからも、彼は自分に関わり続けるだろう。
 それは予感ではなく、確信だった。
「ねぇ。この歌、知ってる?」
 付けっぱなしのラジオから微かに聞こえてくる、音。
 朱の空を抜けて
 星の原を駆けて
 海の青を映す空まで……

「知らない。……でも、綺麗な声ね」
「赤根が好きだったんだ。」
「この歌の通りになった、という事か……」
 真詞は口ずさむ。

 深い眠りの中で
 あなたの幸せを夢見ている……
 夢見ている……
 それが僕の幸福……

 そうして、彼は買って来たばかりのまっさらなノートを開いた。


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