星月夜の森へ

─ 48 ─

 王太子付きの近衛騎士団長という肩書きが与えられたフレイを頭に別途編成された小隊は、仮称として聖宮騎士団という名が与えられた。
 たった十五騎の、国を守護する巫女を迎えに行くにしては、あまりにお粗末ではあったが、それでも選りすぐりの精鋭たちだ。機動力を重視して従者の数も絞られていた為に、総数も百に満たない。実のところ、志願者の数はその数倍もあったのだが、意図的にその数に絞ったのである。
 そのせいか、ラエルが王に出立の挨拶をしたときも、手向けの言葉もない代わりに何の咎めもなく、無言のうちに送り出された。ただ、城下では、どこから噂を聞きつけたのか、【金の小鳥】を奪還しに行くのだという彼らを、多くの民衆が熱狂的に見送ったし、商人たちからの物資の提供なども多く、王と宰相の協力がない為に、頭の痛い問題であった資金面に関して、驚くほどあっさりと解決をみていた。
 いつのまにか、【金の小鳥】は、すっかり民衆の心のよりどころとなっていた事に、改めて気付かされる。
 手のひらで握りつぶせてしまえそうな、か弱い小鳥になぞらえられていながら、その実、国をも覆えるほどの大きな翼を持った者のであったことに。
 計画が立ち上がったと同時に放たれた斥候たちから入って来る情報で、陽菜子がグリヴィオラの王宮に数日滞在した後、グリヴィオラの国力を見せつけるような大軍勢と共に、おそらくは戦場になるであろう、タラダインへと向かっており、そろそろ到着する頃であることは分かっている。
 幸か不幸か、グリヴィオラの王都ラリッサよりはかなり近く、およそ半分の日程で辿り着けるはずだ。
 天からの祝福であるかのように晴れ渡った空のもと、ラエルたち一行は逸る気持を抑えながら、静かに王都を後にした。

 そしてその三日後、あまりにもあっけなく両国の戦端が開かれたという報がもたらされたのだった。

 グローディ河に程近い都市タラダインに到着して、グリヴィオラ王イェグランは休む間もなく、軍の駐屯地へ向かった。
 将軍から現状報告を受けた後、何を思ったか、どっかりと王専用の椅子から腰を上げる事なく、
「アズフィリアと、【金の小鳥】をここへ呼べ」
 と近従に命じた。
 程なく、まさに怯えた小鳥といった風情の陽菜子の肩を抱えるようにして、アズフィリアが天幕の中へ入って来た。
 しゃなりとした物腰は、軍人たちに囲まれた場においては酷く異質だ。
「お呼びだそうですが、何か?」
 しかも、総大将であるイェグランに対して、やや険のある口調だった。
「ヒナコはまだ旅の疲れが酷くて眠っていたというのに、下らぬ用事ではありませんわね?」
「フィリア、大丈夫だから」
 その細い声に、おや、とイェグランは眉を上げた。
 いつの間にか互いの呼び方が親しげなものに変わっている。グリヴィオラの王宮を出るときは、まだ他人行儀な呼び方をしていたはずだが。
 知己もおらず、心細い中で親切にされれば、心を許すのも当たり前か。
 そう勝手に納得して、イェグランは立ち上がると、大股で二人に近付き、そして陽菜子の腕を掴んだ。
「何をなさいますか!」
 直ぐにその腕を離させようとしたけれども、アズフィリアの細腕などイェグランに敵うはずも無い。うるさそうに片腕で簡単に払われてしまった。
「これはわざわざカーラスティンから借り受けた、幸運の象徴だという【金の小鳥】だ。役に立ってもらわずしてどうする」
「イェグラン!」
 アズフィリアの抗議など全く無視し、足を縺れさせる陽菜子を意に介する事も無く引き摺って、天幕の外へ出た。
 まるでそれを待ち構えてでもいたかのように、グリヴィオラ全軍が整然と並んでいる。
 指令台に上がり、当然のように見渡すと、まだ顔色も良くない陽菜子をぐいっと前に押し出した。
「これが、幸運をもたらすとかいう【金の小鳥】だ。カーラスティン国最高位の巫女殿から、お前たちの加護を祈ってもらおうと借り受けた」
 特に大声を出しているわけでもないのに、響きの良い低音は、随分と遠くまで届いたようだ。兵士たちの間からは、王を讃える声が一斉に上がった。
「さあ、巫女殿から祝福の言葉でもいただこうか」

 半ば混乱して狼狽える陽菜子を救ったともいえるのは、ルウェルト側からの使者の来訪だった。
 その知らせを受けたイェグランは小さく舌打ちをし、陽菜子の事など忘られたかの如くその場に捨て置いて、さっさと天幕へ戻って行った。
 ひとり残されてその場にへたり込んだ陽菜子に、アズフィリアは慌てて駆け寄った。
「ごめんなさいね、こんな目に遭わせるつもりなんてなかったのに」
 ソナと二人掛かりで立ち上がらせ、陽菜子たちは駐屯地を後にしたのだった。

 グリヴィオラ側の本陣に、王の一行が到着するのを待ちかねたように届けられたルウェルト皇国からの書状は、容易く引き破られた。
 内容は、ただ、ルウェルト皇室に関わる陰謀へのグリヴィオラの関与に関する調査依頼であり、極めて穏当なものだった。無益な血を流す事は本意ではなく、現在のこれは誤解に基づいた状況であると、出来る限り争いを避けようという意志が窺えた。
 面倒そうに、ただ一度、引き裂いた書状をそのまま地に落とし、イェグランはどうしたものかと思案する。
 目の前には、返答を待つルウェルトの使者が平伏している。
 命は無いものと覚悟はしているのだろうが、かたかたと小さく震えていた。
 その首を断ち、送りつけるのは容易いが、二度目ともなると芸がない。
「このような嫌疑を掛けられる事自体、我が国としては屈辱だ」
 わざと怒気を孕んだ低い声でそう言ってやると、使者の震えは目に見えて大きくなった。
「しかも、時期皇王が自ら出向くならいざ知らず、こんな下っ端を使者をするなど、随分と見くびられたものだな」
「……おそれながら、私は皇王の係累に繋がるものでございます」
 唇など、ほとんど紫色になっているほどに血の気を失った面を果敢に上げてそう言った男に、
「おまえが皇王自身でなければ同じ事だ」
 とイェグランは言い捨てる。
 再び平伏した男は、まるで断首を待つ罪人に見えた。
「もういい。興が削がれた。とっとと帰れ」
 肘掛けに頬杖をついた、なんともだらしのない格好のまま、心底つまらなそうに手首だけを翻す。
「……返答を頂けるまでは帰れません」
「これが返答だ」
 つま先で、地に落ちている破れた文書を指し示され、さすがに使者も気色ばんだ。さっと頬に赤みが増す様は、面白いほどだ。かといって、何が出来るわけではない。
「考慮するにも値しない。我が国は、与えられた屈辱に相当する報復を行なうのみだ」
 その言葉に、グリヴィオラ側の方からざわめきが起きた。
 それもそのはずで、今回の出陣は、ルウェルトに対する威圧行為に終わるというのが、当初の予定ではあったのだ。あわよくば、領地の割譲及び条約による献上の義務化などを要求する腹積もりではあったにせよ、いずれは属国にするその布石が打つのに良い機会だとしか、大臣たちは認識していなかったのだった。
 しかし、将軍及び大隊長たちの方は好戦的な血をざわめかせており、目の前の獲物をいかにいたぶろうかと手ぐすねを引いている有様だ。何しろ、グリヴィオラの主力が集結しているのだ。ルウェルト皇国が仮に友好の深い隣国カーラスティンと手を組んだところで負ける戦ではない。
「お前は無事に帰してやる。とっとと逃げる算段でもするといい」
 ついっと顎で指示すると、近従の二人がルウェルトの使者の腕を左右から掴み上げて、引き摺って行った。
 どうやら、使者は恐れの余り腰が抜けていて、直ぐに動ける状態ではなかったらしい。

 そうして、嚆矢は放たれた。

 数に勝るグリヴィオラの勝利など、確定しているも同然だった。
 だが、イェグランは全軍の投入を許さなかった。勝って当たり前の戦など詰まらないと、一個大隊、つまりは四分の一の兵力で攻めてみせろと第一大隊の隊長に命じたのだ。
 戦場となる場は、グローディ河畔でも流れが緩く、いつになく水量が少ないこともあって徒歩で渡りきれる。
 斥候による情報によれは、兵の数こそグリヴィオラの三分の一に達するほどだが、その半分は民衆からの志願兵でほとんど物の役には立たない者ばかり、つまりは生気の訓練を受けた者だけで構成されているグリヴィオラ兵の相手にすらならないということだ。
 弩と投石機で、相手の陣形を崩し、あとは一気に兵を投入すれば、短時間で勝敗は決するものと思われた。
 せっかくの獲物だ。
 じっくりといたぶるのも良いかも知れない。
 ふと、そんな誘惑もある。
 強者故の、それは驕りに似て。

 それは、窮鼠猫を噛むという言葉通りに、手痛いしっぺ返しを喰らう事になる。

 サリューの異母兄キノアを総大将に構成されているルウェルト軍の実態は、烏合の衆と揶揄されても仕方の無いものだった。
 もともと争いごとを好まず、穏やかな気質もあって、ルウェルト軍はお飾りのようなものだ。隣国のカーラスティンと古くから友好を結び、大国グリヴィオラへの毎年の献上品は欠かさない。老獪でしたたかというには、あまりにのんびりとした国の気風ゆえに、周囲からは脅威とは全く看做されることのない、小さな国。それがルウェルトだ。
 戦う術など知らぬ民衆たちには、堅牢な盾を数人掛かりで支えさせ、ある程度虜力があり、小器用な者を訓練して、盲滅法ではあるが、隊列を組ませて弓を連射させるという方法は、想像以上の効果があった。そして、キノアが幼い頃から剣の師と慕って来た将軍ダリアの腹心ソティスが率いる遊撃隊は、馬上で短弓を巧みに操り、敵からの弓矢や石礫をかいくぐって、弩や投石機の投擲手に襲い掛かった。
 結果として、陣形を崩されたのはグリヴィオラの方だった。
 混戦の様相を見せはじめ、先に手をルウェルト側が兵を引いた。そのままでは、味方に弓矢が当たり、同士討ちになってしまうと見たのだろう。
 圧倒的な勝利を信じていただけに、グリヴィオラ側の疲弊は大きかった。
 端的に言えば、侮っていた相手に思わぬ反撃を受けて、肉体的なものよりも精神的に傷つけられたのだ。それは容赦無く自分たちの油断や思い上がりをも眼前に突き付け、いたたまれない思いを燻らせていた。
 まるで葬列のように暗く沈んでいながら、何かのきっかけがあれば発火しそうな不穏な空気の中、陽菜子は馬車から静かに降り立った。

2008.11.23


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