星月夜の森へ

─ 21 ─

 そこは、豪奢な檻だった。
 ベッドの天蓋は、職人が一年がかりで織り上げた、美しい模様の透かし織りのカーテンが掛かり、部屋は、夏の最中でさえ気持ち良く過ごせるよう、窓は大きく、風通し良く作られている。少し高台に建てられている為か、そこからはグリヴィオラの王都ラリッサが一望出来る。
 それでも、檻に違いなかった。
 グリヴィオラ王宮の、そこは後宮であったので。
 黒い巻き毛を揺らして、アズフィリアは思い切り伸びをする。
 昨夜は王と明け方まで話し込んでいたので、もう昼が近いと言うのに眠り足りない気がした。

「あの間抜けた皇子、うまい具合に第二皇子を排斥出来たとか言っていたが、案の定、母方の係累に身を寄せておったわ」
 黄褐色の肌に青銀色の髪を持つグリヴィオラ王イェグランは、磊落な笑みを浮かべて、杯を重ねていた。
 元々、王位に就く気などなかった彼は、十代の半ばからさっさと放浪生活、あるいは放蕩生活を送っていた。博打で路銀を擦ってしまい賭場で使い走りをしていたとか、人夫に混じって河堤の工事現場で働いていたとかいう噂には事欠かず、民衆にはやたら親しまれている王子でもあった。流行病で、父王と弟が相次いで亡くなる事態にならなければ、そんな生活に十年ほどで終止符を打ち、王都に腰を据える事などなかっただろう。
 王の急逝の直後、イェグランの行方が分からず、遂に王位継承を廻って王族の対立が表面化し始めたころ、彼はひょっこりと現れた。その時、伴っていたのがアズフィリアだった。
 帰国し、あれよあれよと言う間に臣民の心をつかんでしまうと、事態はあっさり収拾した。
 不穏な動きを見せていた派閥も、東の国境で起きた隣国との小競り合いを短期間で終結させ、その上、相手の国土の一部を割譲、絹織物千反を献上させるという手腕を見せつけられるに至ると、すっかり鳴りを潜めた。
 気候も安定し、天災も少ないとなると、大臣以下、国民をもやきもきさせている事は、王いつが正妃を迎えるのかということに尽きるあたり、実に平和なのだった。
 が、イェグランは旅先から連れ帰り、後宮に入れたアズフィリアを寵愛するばかりで、いっかなそんなそぶりも見せない。異国生まれで身元も不確かであろうが、アズフィリアを正妃にとまでいう声も上がり始めていた。それは、彼女がどれほど厚遇されようと、政務には全く口を出さず、贅沢をねだる事もない。見目だけなら、王の隣を飾るに充分相応しい秀麗さとなれば、いっそうってつけとも言えたからだろう。
「そういえば、おまえを正妃に、って言い出してる奴らもいるんだが、どうする?」
 求婚にしては、色気もなければ熱意もない言葉に、アズフィリアは、からからと笑って、
「真っ平御免です」
 と、ひと言で却下した。
「そうか」
 イェグランの方もあっさり了承し、以来、この話が二人の間でなされることは二度となかった。が、そんなことを知らぬ大臣は、未だに、アズフィリアを正妃にしてはと王に進言している。
 まさか、こんな会話が二人の間で交わされているとも知らずに。
「表向きは、カーラスティンに遊学していた、ということになっているそうだ」
 さらに杯を重ねようとして、デカンタが空になっている事に気付いたイェグランは、むっと顔をしかめた。
「確か、先代の王妃がルウェルトの出でしたね」
 アズフィリアは仕方なさそうに苦笑しながら、傍らの棚から、こっそりと隠していたリゴル酒のボトルを取り出して、イェグランに渡す。
「前皇王の王妃の妹だ。六年も前に亡くなっているから、俺もまさかと思ったんだがな」
 慣れた手つきでコルクの栓を抜き、杯になみなみと注ぐのを見て、アズフィリアはさっとボトルを取り上げた。度数の強いリゴル酒の、そういう飲み方は、確かに褒められたものではない。
「でも、王の容態が重篤だと知って、隠れてはいられなくなったということでしょうね」
「多分な。それに、まだ申し入れの段階だそうだが、カーラスティンの方から、第一姫と第二皇子の婚姻の話があるらしい」
 リゴル酒のボトルを名残惜しそうに眺めながら、イェグランは話を進める。
「では、第二皇子は、友好国の後ろ盾を得たということですか。あら、形勢逆転?」
「少なくとも、暗殺出来ない理由は出来たな。あの莫迦皇子でも、そのくらいは分かるだろう」
「だといいんですけど」
 意味有りげに微笑むアズフィリアの髪を、イェグランは撫でた。
 グリヴィオラにおいても、黒髪の人間はとても珍しく、おそらくひとりもいないだろう。さほど特別視はされていないが、カーラスティンと同じような伝説も幾つか残っている。
「まさか、本当にヴィスタリア一族が存在しているなんてな」
 イェグランは口許を歪ませて笑う。
「まさかでなくては困ります」
「それもそうか」
 グリヴィオラでは、ツァルト国の何処かで、ひっそりとその血を繋いでいるという伝説の一族として、ヴィスタリアの名は知られていた。閉鎖的な傾向のあるツァルト国の情報が、この国には割合入って来るのは、カーラスティンと違って、砂漠を挟む事なく、国境の一部が隣接しているからだろう。 「私たちは懲りているのです。今は【古き叡智】として残る道具を作る知識も技術も、失われてしまいましたし」
「【風聴き】のように、か」
「彼らは、私たちのように、何処かに隠れ潜む事ができないことが、不幸でした。【星読み】のようにおもねることが出来ればよかったんでしょうけど」
「権力に媚びることもなく、自らを守ることのみを至上とする傲慢で臆病な一族、か」
「その通りです。未来視など、役に立ちもしないものを欲しがる人が多いのですから」
「少なくとも、おまえが天気予報してくれたおかげで、先日の小競り合いは有利に解したがな」
 イェグランは意地悪な表情で笑った。
「私は、少し外の世界を見てみたい。どうせ檻の中にいるのは同じ事なら、自分で選んだだけです」
 負けじとアズフィリアは、つんと顎を上げた。

 窓辺に立ち、空色の瞳に眼前に広がる風景を映して、アズフィリアは期待に胸を膨らませる。
 同じ傍観者であるなら、肌で感じられる場所に居たかった。
 ひっそりと息を潜めて身を隠し、世界をこっそり覗き見ているばかりでは、外に焦がれる気持ちが溢れて、心が壊れてしまいそうだったので。

2008.08.24


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