星月夜の森へ

─ 9 ─

 その日、王と【金の小鳥】の歓談の内容は、主に施療院訪問のことだった。
 あの小鳥の、小賢しい飼育係の企てか。
 ラエルが、最初に【金の小鳥】が、城下の施療院を訪問しているという話を耳にしたのは、随分前の事だった。人気取りにしても、酔狂な事をするものだ呆れた事を、彼は覚えている。
 が、その時に余計なことをするなと釘を刺すべきだったと、ラエルは苦々しく胸の内で呟いた。
 今では、あちらこちらで、【金の小鳥】が起こす奇跡について語られているばかりか、間もなく行なわれるお披露目を前に、既に民衆は彼女を受け入れ、崇め始めてさえいた。
 王は、己の目論みはやや外れたものの、充分に役立ってくれそうだと上機嫌だ。頻繁に【金の小鳥】を呼び出し、頬ずりでもしかねない可愛がりようには、さすがに宰相も呆れ顔を隠せない。傍目には孫を可愛がる好々爺に見えない事も無いが、王がラエルを授かったのが晩年になってからなので、ラエルと陽菜子は三歳差しかない。それが、ラエルと並ぶと親子にしか見えないのだから、おかしな話だ。
「どうかされましたか?」
 王の間から出てきたラエルの剣呑な表情に、控えの間で陽菜子を待っていたティレンは直ぐに椅子から腰を上げ、軽く頭を下げる簡略な礼を取りながらも、怪訝な顔を向けた。
「もしかして、ヒナコ様がなにか失礼でも?」
 いつもはソナとかいう侍女が待機していたのではなかったか。
 嫌な時にいるものだと思ったことなどおくびにも出さず、ラエルは王太子らしい笑みを顔に貼付けた。
「まさか。こちらこそ、中座する事になって申し訳ない」
 中座も何も、陽菜子と言葉を交わしているのは王だけで、宰相やラエルも同席は求められているものの、会話の邪魔は許されていない。招く度、次の予定を無視して長くなってゆく謁見の時間に、いつまでも付き合っていられるほどラエルは暇ではなかった。
「いえ、予定の時間も過ぎておりますし、ヒナコ様が何か我が儘でも申しているのではと……」
「我が儘をおっしゃっているのは王の方だ。巫女に余計な負担を掛けていることは私が詫びよう」
 出来るだけ重々しく聞こえるようにと、いつも以上に低い声になってしまうのは、まだ十七という年齢をラエルがもどかしく思っているからだ。聖宮の中では歳若いであろうティレンも、ラエルにとっては警戒すべき年長の者であったし、その水色の目に底知れないものを感じてもいた。
「もったいない事でございますが、ヒナコ様も、王とお話し出来るこの機会をいつも楽しみにされております。負担だなどとは、とんでもない」
 恭しくティレンは頭を下げた。
 そうしてされてしまうと、女性としては背の高いティレンより、さらに頭半分ほど高いラエルからはどんな表情をしているのかは窺えない。どのみち、ラエルも敵わぬ鉄壁の仮面の持ち主の本心など、簡単に読めるはずもなかったが。
「……老人の繰り言に付き合わされて、哀れなことだと思うが?」
「何をおっしゃられます。ヒナコ様はご自分のお祖父様を思い出されると、とても慕われておいでですのに」
「まだ家族が恋しい歳だな」
「それこそが、お可哀想な事です」
「家族を呼び寄せるか、披露目が済んだら、もう少し大人になるまで故郷に帰してやれはどうだ」
「それが叶いますならば」
 ティレンの沈鬱な声音に、
「もうおらぬのか」
 わざわざラエルは確認した。
「いえ、ご存命のはずです。ただ、ヒナコ様は二度とご家族にお会いになる事も故郷にお帰りになる事も出来ません」
「それは、聖宮が許さぬということか」
「いいえ、【金の小鳥】は神からの賜り物でございますれば」
 ラエルの咎めるようなきつい言葉にも、ティレンは動ずる事なく否定する。
「……意味がわからんな」
「この世界のお方ではないのです」
 伏せたままの顔に一筋、汗が流れた。ティレンにしてみれば、【金の小鳥】に懐疑を抱いている王太子とこんな話を続けるのは、賭けのようなものだ。
 無論、民衆は【金の小鳥】は神から遣わされたものだと信じて疑わない。少なくとも表面上は。
 王室にとっては、信じるにしろ信じないにしろ、国の安寧を計る為には欠かせない存在だ。だからといって、偽りこそないものの、聖宮は全ての真実を伝えている訳ではない。今、ティレンが口にしているのは、極めて難しい一線にあることだった。
「何をばかな事を」
「ばかな事ではございません。ただ、このカーラスティンが属する世界を守護する為だけに、ヒナコ様はご家族からも故郷からも引き離されて……いえ、わたくしどもが引き離してしまったのです」
「世迷い言も大概にするがいい。どこぞの田舎娘を【金の小鳥】に仕立てたと、告げられたところで、驚きはせぬ。いや、素直に告げられたら、それはそれで驚くだろうがな」
 侮蔑を込めて、ラエルは言い捨てた。
 聞き捨てならない言葉に、ティレンは柳眉を吊り上げた。もし顔を伏せていなかったら、自分の立場も忘れて、王太子に穏やかならざる視線を向けてしまったに違いない。
 神から遣わされたというのも、決して嘘ではない。
 かつて、伝説の賢者がその叡智によって創り出したという天球石に映るのは神の理。そこに現れる星の軌跡を読み解き、【闇月】が【金の小鳥】を堕とす時を知る。彼らは、ひたすらに祈りを捧げ、その手に【金の小鳥】が堕ちてくるのを待つのだ。
「王太子が、お信じになろうとなられまいと、ヒナコ様が【金の小鳥】であることには間違いございません。それを真に感じられるのは、おそらく失われた時でございましょう……」
「街中の詐欺師が言いそうな言葉だな」
 ラエルの言葉には容赦が無かった。
「なんとでもおっしゃられませ」
「間違えるな。私は【金の小鳥】を否定している訳ではない。あれは、必要な者だと認識はしている」
 やや険を帯びたティレンの応えを諌めるように冷たく言いおいて、ラエルはその場を後にした。
 より深く頭を垂れたまま、ティレンは唇を噛み締める。
 恐れていた方向への鋭い切り込みは無かった事は、幸いではあったが、事態は想像以上に悪い。
 よもやここまで王太子が否定的な懐疑を見せるとは思わなかったのだ。無論、王太子を可愛がっていた先代の王妃が、【金の小鳥】にばかりでなく聖宮にも不信の目を向けていた事は知っていたが、それは異国の姫君だったからだととらえていた。が、他愛も無い噂の方が、真実だったらしい事に、ティレンは今後を思って心底嘆息した。
 それから、どれほど時が立ったのか、いつも間にか室内には灯がともされており、
「ティレン?」
 心配そうな目が、ティレンを見つめていた。
 気が付けば、身体は冷えきっていて、細かく震えている。深まりゆく秋の夕べは肌寒いとはいえ、そればかりではない気がした。
「ヒナコ様。お疲れさまでございました」
「ごめんなさいね、たくさん待たせてしまって」
「いえ、王がまた、離して下さらなかったのでしょう?」
 困ったような顔で陽菜子ははにかむ。見た目はまるで違うのに、声や構い方が祖父とよく似ていて、つい甘えてしまうのだというが、傍目には、きちんを一線を引き、身を弁えた振る舞いをしていると、ティレンは聞いている。
「さあ、すっかり冷えて参りましたし、早く帰りましょう」
「今日はね、ソナがマルムーンを作ってくれてるの。楽しみ」
 にこにこと陽菜子は笑う。
 この日、ティレンが陽菜子に付き添ったのは、時には王城内の雰囲気をその身で知っておきたかったからだが、それで出来た暇で、どうやらソナは陽菜子の大好物を作っているようだった。以前、ソナが施療院への差し入れにと作ったそれを、いたく気に入っていた。パイ生地に薫製肉や野菜、チーズを挟み込んで焼き上げるそれは、ソナの生まれ育った土地の郷土料理であるせいか、聖宮の料理番よりもソナが作ったものの方が美味しいのだという。どうやら香辛料の使い方にコツがあるらしい。
「よかったですね」
「うん。でも、ソナにはせっかくの暇なんだから、好きなように過ごしてって言ったのよ?」
「よい侍女をお持ちになられましたね」
 それこそ、ただの田舎娘だったソナは、献身的に陽菜子に仕え、ティレンも一目置くほどだ。ゆくゆくは、聖宮の内部に関わらせても良いだろうとさえ思う。
「ソナを側にいさせてくれてるのは、ティレンでしょう? ありがとう」
 思いも掛けない礼を言われて、ティレンは狼狽えた。
 らしくないと自戒しながら、これもまた悪くないと、ティレンは心からの微笑みを陽菜子に返した。
2008.08.08



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