星月夜の森へ

─ 6 ─

 ルウェルト皇国は、カーラスティン王国の東南、大国グリヴィオラの西にある。
 気候風土だけでなく、地の利にも恵まれて、長いこと他国からの侵略を受ける事もなく、平和と豊かさを存分に享受していたのだが、代替わりが近付くとお家騒動が起きるのは、ほぼ必然であるらしい。さすがに信用していた侍女が他の勢力に取り込まれ、食事に毒を盛られるようになると、第二の側室を母に持つサリュー・タフテは、かつて大叔母ユフィリアが嫁いだ縁を頼りに、カーラスティンの王室に身を寄せることとなった。
 どうにかこの地へ辿り着いた時は、精神的に食物を受け付けなくなっていたせいでやつれ切っていたサリューに、既にその陰は見られない。それでも、時折過る翳りを見たラエルは、殊更、軽い調子で
「それにしても、面倒なことに巻き込まれてるよなあ」
 と微笑った。
 サリューの滞在は既に数ヶ月に及び、対面した時から同じ十七歳ということもあってか、妙に馬の合う又従兄弟のラエル、つまりカーラスティンの王太子とは気兼ねなく言葉を交わす間柄になっている。午後にこうして一緒にお茶の時間を過ごすのも既に習慣だ。
「そうだねえ。でもユフィリア様のおかげで、こうしてここにいられるわけだから」
 のほほんとサリューは答える。
 ユフィリアは、ルウェルト皇国皇太后の姉にあたり、カーラスティンの前王妃でもある。ラエルにとっては幼少の頃、母などより余程可愛がってくれた、優しい祖母でもあった。その話を聞く度、サリューはうらやましがる。その優しい祖母に、自分も会ってみたかったと。残念な事にユフィリアは数年前、逝去していた。
 現在、サリューはユフィリアの娘、現王アルカスの妹であるカリスを後見に、王城での滞在が許されている。とはいえ、警備の厳しい王城であっても、サリューがルウェルトの皇子だと知っているのは一握りの者たちだけだ。
 幸いと言うべきか、ここに保護を求めて来たときのサリューは、やせ細った身体に女性の衣装を身に着けていた上に、細面の優しい面立ちも手伝って、女性だと思われていた。だから、今ここにいるサリューがその人だと思う者はまずいない。それをまんまと利用し、サリューは、ユフィリアとともにこの国へやって来た侍従を尋ねて来た孫になりすますことになった。そして、ユフィリアの墓前で偶々出会ったラエルに気に入られたという筋書きが真しやかに流され、ご丁寧に、後日保護を求めて来た女性の葬儀まで執り行われたのである。
 学友として、側においてもらう事はおろか声を掛けてもらう事も叶わなかった貴族の子息たちは、口さがないことを陰では言い立ててはいるが、後見がカリスでは、下手な手出しなど出来ようもない。安全な場所と友人を得て、ようやくサリューは肉体的にも精神的にも健康を取り戻したのだった。
「ねえ。噂に聞いたんだけど、【金の小鳥】がようやく現れたそうだね?」
 サリューは、繊細な顔の造りに似合わぬ、悪戯好きの子供のような笑みを浮かべた。
「もう噂になっているのか」
 驚いたと、わざわざとってとけたような顔をして、ラエルは答える。
「衛兵で見かけたって人がいるんだってね。給仕の子たちがそんな事を言っていたよ」
「先日の訪問を見かけたんだろう」
 ラエルは手づから淹れたお茶をサリューにも薦めた。
 はるばる東方のツァルトから、砂漠を越えて運ばれて来たそれは、ラエルのお気に入りだ。湯を注ぐと花のような甘い香りを立て、口に含むと清涼感が広がる。
「城に? 来てるの?」
「もう何度かね。王もことのほか気に入ったみたいで」
 始めて対面した時の、王の顔を思い出してラエルは、笑みを浮かべた。  六年前に先の【金の小鳥】が亡くなって以降、眠っていると思われていた火山が活動を始めたり、雨期に雨が降らず、乾期に豪雨があったりして、凶作とは呼べないまでも、農作物の実りが悪かった。王としては、やっと不安から解放されると思ったのだろう。そろそろ老境に差し掛かろうかという男が、目に涙を浮かべていた。
「会ったの?」
「ああ」
「どんな子だった?」
 サリューはラエルに詰め寄らんばかりの勢いで、まるで子供のような好奇心を湛えた目を向けた。
「まさに【金の小鳥】だね。金色の髪、若葉色の瞳。小柄で、可愛らしい方だったよ」
「何か話したの?」
「残念だけど、もっぱら王が独り占めしてしまっていたから。そのまま鳥籠に閉じ込めてしまいかねない勢いだったな」
「随分と気に入られたんだねえ。そんなにお可愛らしい方なんだ……」
 やや夢見心地な顔で呟くサリューに、ラエルは苦笑を漏らした。
 確かに可愛らしかった。なにしろ【金の小鳥】なのだ。万人からそう思われない訳がない。
「じゃあ、今年はカーラスティンは豊作を約束されたようなものだね」
「だといいけれど」
 小さく溜め息を零すラエルに、
「なにを気弱な事を」
 そんな風に返しながら、サリューはふと微かな違和感を覚えた。
 代々、カーラスティンにとって守り神の巫女たる【金の小鳥】は、豊かな実りと平和な暮らしを約束する幸運と守護の象徴だ。【金の小鳥】不在時は、天候が荒れ易く、近隣諸国にも不穏な動きがあるなど政情不安になると言われる。
「あくまで象徴だよ。豊作凶作は、ある程度一定の間隔で来るものなんだ。そんなのは記録を見れば分かることだろう。目で見て安心出来るものを欲しがる民衆と同じように、王族までが彼女にそんな責任を負わせるのは酷というものだ」
「優しいね、ラエルは」
 十三の歳から宰相補佐に付いて政治に携わって来たというラエルらしい言い方だなと、サリューは思う。
 気安さこそないが、立場を鼻にかけた高慢さとは無縁のラエルは、王城内でも気高く優しい王太子、と評判が良い。その上、見目も良いとなると、当然、貴族の姫君たちの中には、この王太子に熱を上げているものも多く、ラエルが出席する数少ない舞踏会ともなれば、陰の戦いが凄まじい。
 緩やかに波打つ蜂蜜色の髪に、精悍な顔立ち。ひと際印象的なのが深い青の瞳だ。まだ少年期を抜け切らないが故か、不思議な高潔さを湛えている。高い身長のせいで一見すらりとして見える身体は、日々の鍛錬に鍛えられており、いずれは歴代の王の中でも抜きん出た美丈夫になるだろうと、誰もが疑わない。城下町では、どうやら王子の似姿を写したものと思われる役者絵まで出回っており、その出来の良さに、貴族の娘たちがそれを求めて従者を走らせているとも言われている。
 僅かな間の後、ラエルは軽く首を振った。
「本当に、小鳥のような少女なんだ」
「へえ……一度、お会いしてみたいな」
 それは、言外の、そういう機会をもらえないかという打診ではあったのだが、
「わざわざ会うようなものではないよ」
 と、聡いラエルらしからぬ鈍い答えが返って来た。それは、遠回しな断りだったのだろう。
「あれは、あくまで民衆の為の存在だ。神の彫像よりも、神から遣わされた巫女の少女っていう方が、彼らにとっては有り難く、信仰を集めるにもおあつらえ向きなんだ」
 そこまで言ってしまってから、ラエルは何かに気付いたようにはたと口を閉じた。
「そうだね、興味本位で【金の小鳥】に会ってみたいなんて、彼女に負担を掛けてしまうようなこと、軽々しく口にすべきじゃなかった」
 わざと、ラエルの本意は掬い取ったという意思表示をサリューは込める。
 それは失言などではないと伝える代わりに。
 かつてユフィリアが【金の小鳥】を酷く嫌っていたという話は、一部には割合有名な話だ。ユフィリアに可愛がられていたラエルが、いつの間にか【金の小鳥】を嫌うように刷り込まれていても不思議ではないなとサリューは思う。
 けれど、国の安寧の為には必要な存在であり、例え王族であれど軽んずる訳にはいかない。そのジレンマが、ほんの少し、王太子の仮面から覗いたのだとしたら、友人としては喜ばしい事だと。
 もちろん、そんなことは口にはしないけれども。
「来週にでも、王はまた【金の小鳥】を王城へ呼ばれるだろう。さすがにお膳立てするのは無理だけど、言ったろう? 本当に小鳥のような少女だ。偶然会うことなら出来るかもしれないね」
 焦りを取り繕った様子など欠片も見せず、ラエルは少し悪戯めいた顔をサリューに向けた。
「え?」
「先日、実は大変だったんだ」
 可愛らしい小鳥は、実はとても好奇心の強い少女らしく、ちょっと目を離した隙に、姿を消してしまったのだと、ラエルは可愛がっている猟犬の仔が森で迷子になってしまった時のような苦笑を浮かべて話した。
「それでどうなったの?」
「騎士たちの修練所で、無事見つかったよ」
「修練所? 何故そんなところに?」
「窓から修練を見ているうちに、どうしても近くで見たくなってしまったんだそうだ」
「修練を?」
「ちょうどノールズとフレイの演武の最中だったらしい」
「ああ、なるほど、それなら僕も是非見てみたい」
 サリューは得心がいったと頷く。
 ノールズとフレイと言えば、王都を守護するヴァナルガンド騎士団の双璧と称される二人だ。その剣の技量や騎士たちをまとめる度量も申し分なく、片や非常な愛妻家、片や奔放な遊び人という一面が、この近付き難い二人を身近なものにしているのか、騎士たちから慕われるばかりでなく、親しまれてもいる。
「気持ちは分かるが、いきなり姿を消されてみろよ……」
 その時の上へ下への騒ぎを思い出したのか、ラエルはげんなりと俯いてぼやく。
「一応、【金の小鳥】の存在は、まだ隠されている以上、表立って捜索も出来なくて、俺まで駆り出されたんだぞ」
「……それは災難だったね」
「まあ、そんなわけで、そのうち会う事も叶うさ」
 そう言って、ラエルは不敵な笑いをみせた。
 もっとも、そんな騒ぎを起こして、お目付役が付かない訳がない。
 その言葉が直ぐに現実のものとなる事など、この時は二人とも思いもしていなかった。

 
2008.08.02


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