星月夜の森へ

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 森を貫く街道──とはいっても、せいぜい踏み慣らされてだけの田舎道だ──を行く馬上の二人の青年は、領主の命による視察の帰りだった。
 この数年、天候が不安定なせいもあって、農作物の収穫が減少しており、今年の出来如何によっては、国王へ税の一時免除を請願せねばならないだろう。それは、領主としては最も避けたい事態だ。幸いにも、晩春の雨のおかげで麦は順調な生育を見せていたことで、二人の表情から緊張が解けているのが見て取れた。
 昨日の夕方から降り出した雨に、村長の薦めもあって一晩の宿を借りることになってしまったが、これが去年のような状況なら、雨の中、丁重に送り出されてしまったに違いない。
「それにしても、珍しいものを手に入れましたね」
 ナーダが、手の中の物を弄んでいるものを見て、ミディールは微笑う。歳こそ同じくらいだが、二人の容貌は、赤銅色の髪に精悍な面立ち、薄茶の髪に柔和な雰囲気と、なかなかに対照的だ。
「ああ」
 珍しいと言っても、所詮玩具のようなものだと、ナーダのいらえも苦笑じみている。
「巫女のお披露目はまだ先になるみたいだからな。それまではこういうものも必要なんだろうさ」
 立ち寄った村で、村長から作物の生育状況や、穀物の備蓄などについての報告を受けていた時、ふと目についたのが、村長の息子が腰に付けていた魔除けだった。
 農作物の不作ばかりでなく、小規模ながら火山の噴火があったりしたことは、偉大な巫女の死と同時期であったことで、民衆の間では、とかく魔除けだの護符だののやり取りがなされている。新たな巫女の誕生を待ち望む民衆の不安を和らげるものであるかぎり、咎めるような事でもない。もっとも、不安につけ込んだ悪辣な商売や暴動の煽動には、目を光らせねばならないのだが、その村にそういった気配は感じられなかった。 
 村長の息子は最近手に入れた、紛うことなき本物なのだと何やら自慢げではあったが、二人にさしたる興味は無かった。少なくともその時点では。
 村を出る途中、同じものを身に付けていた村の男を見かけて声を掛けたのは、この村で流行ってでもいるのかと思っただけのことだ。男が急に顔色を変えたのが気になって、やや脅し気味に入手方法を問うと、何を勘違いしたのか、それがあまり褒められた手段でなかった事を白状し、彼らにそれを押し付けて、一目散に遁走してしまった。
 という訳で、強力な魔除けとして最も珍重されているもののひとつが、青年の手にあるのだった。
 黒い髪で編んだ輪が。
 遠い昔、神が眠りについた時代に、世界は悪魔に襲われて、荒れ果てた。その時人々を守った勇者と賢者の物語は、子供に聞かせるおとぎ話の定番だ。そこから、賢者の黒髪で編んだ輪を身に付けているだけで悪魔を遠ざける事が出来たと言う伝説は生まれ、勇者の活躍は、様々にアレンジされて、どれも最後は王様になったとして語られている。
「なんでも、変わった格好をしていて、連れ帰ろうとしたら逃げられたのだと言っていましたが……」
「間諜だとしたら間抜けな話だな」
 互いに牽制し合い、表面上は平穏ではあるけれど、各国に付け入る隙はないかと水面下で目を光らせているのは、どの国も同じ。国力の基礎である農作物の出来は常に監視しあっているようなものだ。
「旅人でしょうか」
「だとしたら、噂になりそうなものだがな」
 カーラスティン国にも、その近隣諸国にも黒髪の人間などいない。東の砂漠の果てにあるツァルト国に、黒髪の一族がいるとは言われているが、実際見た事のある者は数える程だ。かつて、ツァルト国に大使として赴いた者が、非常に稀なる者を見たと語ったことが、一番信憑性があるだろうか。
 だから、黒髪の人間の存在そのものを伝説だと思われてさえいて、それで作られた魔除けといえば、染料で誤摩化されたものと決まっていて、それでさえ、需要があるから不思議なものだ。
「所詮、たかが髪の色が珍しい人間がいるってだけの話だ」
 その話はお終いとばかりに、ナーダは革袋の中に魔除けを放り込んだ。

◇ ◆ ◇

 アトールはカーラスティン国随一の遊郭だ。王都クレインの西を流れるツェミレ河の中州にあり、その門をくぐるには王都側からの橋を渡るしか無い。激しい流れは、侵入者も逃亡者を阻む。橋が掛けられた時も、かつて無い数の人柱が立てられて、ようやく完成に至った。その為か、怪談めいた話は枚挙に暇が無い。
 もともとは、かつて不貞を働いた王妃を幽閉するための館がここにはあった。王の代替わりを重ねて、今では国外にまでその名が知られるほどの色町へと変貌を遂げている。
 銀月楼と言えば、最も下位の端女すら一見の客はお断り、一種のステイタスとして馴染みになる貴族も多いと噂されるほどの楼閣である。優美な外観を持つ建物は、かつて王から不貞を疑われ涙ながらに生涯を閉じた悲劇の王妃が住居であり、幾度か改装、増築を重ねて今に至る。
 その日、銀月楼で最高位の傾城であるヴィリス・シュティークは、与えられた私室から、橋を渡って来る旅装束の二人連れを見ていた。
 一人はアトールでも一目置かれている女衒のトラトス、連れているのは彼が買い取った少女、もしくは少年だろう。
 トラトスが連れて来る者は珠玉と呼ばれ、泥に塗れた宝石、磨けば光る珠として、どの妓楼でも常に注目されている。トラトス自身も結構な色男で、岡惚れしている上臈も多いというが、馴染みになった者は噂ですら一人もおらず、実は妻子持ちなのではと真しやかに囁かれていた。
 この銀月楼でも珠玉は何人か買い取っていて、身請けされて既にここに居ないものも少なくない。禿でいるうちに運良く貴族の目に留まり、養女に納まった者さえいて、どうせ苦界に堕ちるならトラトスの手でと言われるのも納得出来るというものである。
 ふと、予感を得てヴィリスは艶やかな金茶の髪を揺らした。

 トラトスは、傍らを歩く小柄にちらと目をやった。
 いや、トラトスが大柄なだけで小柄というわけではないのだが。
 頭からすっぽりとフードを被せ、外側からはその容姿を窺い知ることは出来ないが、トラストを知っている人間から見れば、興味を引くことは致し方ないことだ。
 続いた凶作も、今年はどうやら良い方に転じる相が見え、トラトス自身にはさしたる収穫も無いまま、久しぶりにアトールに客として赴こうかとしていた時に、それは、大した拾い物だと言えた。
 急の嵐に、一夜の宿を頼んだ農家は、金に困っているというよりも、森で保護した者の扱いに困っていた。耳は聞こえるようだが、言葉が分からないらしく、ろくに意志の疎通が図れないこともあるが、歳若い息子二人が、どうやら血迷い始めているらしかった。
 買い取りを申し出ると、家の主人は迷いもなく頷き、その金額に瞠目していた。
 おそらく、この家の数年分の収入くらいには相当するはずだ。無論、厄介者を引き取ってやるというスタンスで、買い叩くことも考えたのだが、女房の様子を見てそれはやめておいた。森で保護したのは彼女だと言うし、売り飛ばすことに良心の呵責を覚えているようだったからだ。大金に目を眩まさせ、受け取らせてしまえば、後は罪悪感の重さに、この事は誰にも口にするまいとトラトスは踏んだのだった。
 アトールの大門を、通行手形を見せて通り抜けたところで、早速トラトスは楼主たちにつかまった。
「今度はどんな珠玉を拾って来たんだい」
「ちょっと拝ませてもらえるかい」
 フードを取ろうと伸ばされた腕をやんわりと払い、トラトスは
「長旅で疲れてるんだ。顔見せは明日にしてもらおう」
 およそ、他の女衒が見たら、余りの無礼さにひっくり返りそうな横柄さでそういうと、ここでの逗留にいつも世話になっている茶屋に向かったのだった。
 数日の旅で分かった事は、この買い取った商品が、想像していた以上に、厄介だということだった。
 最初は、余りに珍しいために、伝説の存在とさえ思われている節がある黒髪黒瞳を手に入れられた幸運に浮かれていた。どれほどの高値でなるのかと、久しぶりに血を沸き立たせていたが、アトールに着く前の晩、いつものように商品の見聞をして、自分が早まった事を知り、冷静さを取り戻した。
 女衒という職業柄、人でなしだと思われても無理からぬことだが、トラトスとしては買い取った珠玉に不幸になって欲しいわけではない。だから出来るだけ格の高い楼閣に売る。そうすれば、身請けされなくても、年期が開けた後、身に付けた芸で身を立てる事も可能だからだ。
 けれど、この珠玉は、引き受ける妓楼があるかどうか、分からなかった。
 非日常の場所でありながら、ここは色物を嫌う。
 なぜなら、アトールは疑似恋愛と先進的な文化を楽しむ場であって、爛熟した退廃趣味を味わう気風とは無縁だからだ。そういう意味では、非常に健康的とさえ言える。
 異国の顔立ちは、この国の美的感覚から見ても充分に美しい部類に入る。やや痩せ過ぎのきらいはあるが、それは充分に栄養のあるものを食べさせれば解決する話だ。
 が、こればかりは、どうしようもない。
 せめて言葉が通じたなら、解決法も見いだせただろうか。
 あの、期待に満ち満ちた楼主たちの顔を思い出して、トラトスは深く嘆息した。

2008.07.26

お願い:上臈とか女衒はともかく、傾城とか端女とかあたりは、勝手に別の意味(全く別の意味でもないんですが)で使ってます。本来持つ単語の意味と違うとか、そういうのは寛容にスルーしていただけますよう、よろしくお願い申し上げます。


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