変容の章

雨の森、光の浜辺

─補完編─

 やわらかな光の射す庭で、沙都子は午後のお茶を楽しんでいた。
 向かい側で、各務は不機嫌そうにお茶をすすっている。
「何か、言いたそうねえ」
「……あれで、良かったのですか」
「いいもなにも、別にあたしは、何をどうこうしようなんて思ってないし、何もできやしないわ」
 透き通るような白地に、鮮やかなミントグリーンと金のラインが縁を飾るティーセットは、沙都子のお気に入りだ。揃いの皿には、さっくりとした歯触りのビスケットも盛られている。
「あんなもの見せられたら、ただの消化不良ですよ」
「それでもいいのよ。多分」
「多分、って……」
 煎餅を齧るような、やや上品とは言い難い仕草で各務はビスケットを齧った。
 もし自分なら、あんな中途半端なものを見せられたら、フラストレーションがたまってしまう。
「面白いわよね」
「何がですか」
「傘差し運転を咎められたくなかったし、どうせ大した事故じゃないだろうって、ただそれだけだったのに」
「……面白がりますか、それを」
「面白いって、興味深いって言ってるのよ」
「どちらにしても、悪趣味です」
「そう? 生真面目さと不誠実さが同居していて、人間って面白いわよ」
 各務は相槌すら打たなかった。
 無性に腹立たしくなって、各務は次々とビスケットを口に放り込む。
「まあ、結果オーライでしょ?」
「何が結果オーライですか。だいたい、どうして彼女はあんなことになってるんです」
 どん、と各務がテーブルを叩き、食器が穏やかならぬ音を立てた。
「さあ」
「さあって、無責任な! 死にかけてたじゃないですか!」
「死んでないでしょ」
「結果的にはであって、それでも春休み一杯入院する羽目になってるじゃないですか」
「ほんとにあなた、夢語?」
「はい?」
「これもまた必然なのよ、きっと」
「……あのですね、私は事象を他者に見せることは出来るだけであって、認知しているわけじゃないんです」
「知ってるわよ。だから彼が見たのは、彼に取って必要な事象ってことだわ」
「そりゃ、そういう、こと、ですけど」
 往生際悪く何か言い返そうとして、各務は、がっくり項垂れた。
 満足そうに、沙都子はビスケットをつまんだ。
 心地の良い風が、さわさわと樹々の葉を鳴らしている。
 矢車菊、ピオニー、プリムローズ、水仙、庚申薔薇、ライラック、菫、アイリス、マーガレット……。庭には、沙都子の望むかぎりの花々が、鮮やかに咲き誇っている。
「……ここが、ものすごく時間に曖昧なところだというのは分かってはいましたけどね」
 ぼそっと、さも不本意そうに各務は口を開いた。
「まさかこんな時間差で彼らがここに迷い込むなんて思いませんでしたよ」
「卵が先か鶏が先か、本当に謎だわね」
「何をのんきな」
「気も長くなるわよ、観察者なんてやっていると」
 ほんのりと霞んだ青空の下、沙都子は微笑む。
 各務にはもう、何も言うべき言葉は無かった。

(了)


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