モノローグ
※モノクロームに登場の智司の独り語りです。未読の方には分かり辛いかもしれません。
僕の母は、綺麗な人だった。
遺影や残された写真からも、その記憶に間違いのないことが分かる。
優しかったとか怖かったとか、可愛がってもらったとか邪険にされたとかいう思い出はまるでない。
そのせいか、母を亡くして、殊更恋しいとも寂しいとも思ったことはない。
ただ、常に、綺麗な人だったことだけが強く心に残っていた。
特に人の集まるところ、幼稚園の入園式だとかでは、まるで別の次元のイキモノのように綺麗で、それは多分、相当鼻持ちならない高慢さが滲み出ていたからでもあったに違いないと思い至るのは、随分後になってからのことなのだが。
あの日、彼女をどうして「ママ」と呼んだのか。
確かあの日は、習い事の先生がインフルエンザに罹患したとかで、急遽予定が変わった。
公園側の交差点で信号待ちをしているときに、ふと目に入ったのが、彼女だった。
母とはまるで似ていない、よく言えば素朴な、直裁に言ってしまえば地味で野暮ったい容姿だったにも関わらず、僕は咄嗟に車のドアのロックを開けて外に飛び出していた。
「ママ!」
彼女を離してはいけない。
何故だがその一心で、必死になってしがみついていた。
後になって思い返せば、あの時、母の、一分の隙もなく着飾った美しい母の虚ろな瞳が脳裏を占めていたのだった。
幸いにも、僕は子供の頃からそれなりに頭が良く回る方だったと思う。普段滅多に見せるこのない我が儘や癇癪を、ここぞとばかりに利用して、彼女を自分の世話係として置くことに成功した。
もっとも、その陳腐な策略を大人に見破られていないと思ってはいない。
とにかく、彼女が生きてそこにいるということは、何故か僕を酷く安心させた。
それからひとつきも経つか経たないかの頃だったか、仕事での揉め事が終息したらしく、久しぶりに父が帰宅した。
既に彼女の身上についてはきっちり調べ上げられていただろうし、森園から前もって話は聞いていただろう。そのせいか、彼女が僕の世話係になるという件はあっさり了承され、翌日には、森園からきちんと契約書も交わされたことを告げられた。
ああ、これで彼女は僕のものだと思ったら、これまで莫迦莫迦しいと思う半面、羨む気持ちが押さえられなかったことを、彼女に要求するようになっていた。
それは、母の代わり、だ。
入園条件がかなり緩やかになっていたとはいえ、僕が通っていた幼稚園は、いわゆる上流階級に属する家の子供が多く通っていた。だから持ち物ひとつとっても、随分な高級品ばかりで、何処ぞの店のガラスケースに収まっているようなものも多かったのだが、その一方で、手作り品というのももてはやされていた。
要するに、親の愛情のバロメータというわけだ。
最初は、幼稚園で催される夏祭りに一緒に参加して欲しい、というだけだったのだが、彼女が浴衣を縫っているのを見て、どうしても自分のも作って欲しくなってしまった。
久しぶりに駄々を捏ね、作ってもらった甚平は、誰に自慢するわけでもなかったが、来ているだけでも優越感に浸っていられた。
それが、多分、きっかけになってしまったのだ。
夏休みの終わり頃になると、近所の神社では、そこそこの規模で夏祭りが開催される。賑やかなお囃子や、子供たちの歓声が嫌でも聞こえて来るから、どうしたって行ってみたいという気持ちは起こる。でも、自分が置かれている立場や状況を子供心に悟っていた僕は、それを言い出すことが出来なかった。
けれど、その年はなんだか許されるような気がして、行ってみたいとせがんでみた。
もちろん最初は、急なことでもあるし、警護など色んな面から森園にも堀江にも、にべもなく却下された。が、珍しく早く帰宅した父が、何故だか許可を出したのだ。ただし、自分も同伴することを条件に。
仕度を整えて、いざ出掛けようと玄関に集まったときに、その理由を知った。
父が着ていたのは、彼女が縫っていた浴衣だったのだ。
別に、意地になってというわけじゃない。
でも、それ以来、僕はことある毎に彼女に何かを作ることを要求した。
ハンカチやハンドタオルには、イニシャルを刺繍して欲しいとか、弁当箱を入れる袋や、習い事に行く時のバッグだとか。
どうやら彼女は、手芸が趣味だったらしく、嫌がりもせず引き受けてくれた。
それらを目にした友人たちは、とても羨ましげだったし、実際に羨ましいと言う奴もいた。それは、どんなにか僕の優越感を満足させてくれたことだろう。
冬になれば、ふわふわの毛糸でマフラーを、そして手の込んだ模様の入ったセーターやカーディガンを編んでくれた。
この頃には、父が食事の席にいることが当たり前になっていた。
交わされる会話は、ほとんど僕が幼稚園であったことを話したことに派生することばかりだったけれど、時には二人にしか通じないようなこともあって、疎外感を持つことも度々あるようになるのに、さほど時間は掛からなかった。
小学生に上がったころから、父は彼女を頻繁に連れ出すようになった。
仕事柄、女性同伴を求められるパーティなどに招待されることが多いのは知っていたけれど、これまではそれなりに事情を弁え、同時に、周囲には誤解されないような相手を選んでいたはずだ。
父の指示で、あれこれと習い事をさせられていたようで、その甲斐もあったのだろう、次第に彼女は父の隣に在っても、気後れして俯くようなことはなくなった。慎み深く父に寄り添う姿は、周囲からの評判は上々だったらしく、新しいお母さまがいらっしゃるのね、などと訳知り顔に話しかけられることもあって、僕は大いに戸惑った。
最初に彼女を「ママ」と呼んだのは僕だ。
だからって。
母の三回忌の法要が終わるころには、彼女の立場は父の伴侶といところにおさまりつつあった。
父の指示で、エステだの作法の教室だのに通わされて、くたびれる、という愚痴を聞いて笑っていられたのは、その頃までだった。
地味で野暮った彼女は、もうそこにはいなかったからだ。
磨けば光る珠、何て言葉があるけれど、彼女はまさにそれだった。
母のように豪奢な薔薇や蘭を彷彿とさせる美しさではないけれど、野原に立つ白百合を思わせる、凛とした美しさを彼女は持っていた。
それを、父は最初から見抜いていたのだろうか。
それとも、父だからこそ、その魅力を引き出すことが出来たのか。
結局、僕は彼女を諦めるしかなかった。
歳の差は一五。それだけならともかく、相手は父だ。
勝てるはずがない。
身内の贔屓目を差し引いても、父は人を惹き付ける力に溢れていた。現に後妻に納まろうと画策する女性は数知れず。ビジネス面でもそうだ。父に取り入る前段階として、僕を懐柔しようとする輩は引きも切らなかった。
だから、少しずつ僕は外に目を向けるようになったんだ。
それを父がどう受け取ったのかは分からない。
そして今、目の前にいるのは、まさに白百合の如くの姿の彼女だ。
すらりとしたスタイルをより魅力的に見せるラインのドレスを身に纏い、父の隣に立っている。
……簡単に諦めるんじゃなかった。
後悔したところで、どうにもならない。
映画のように彼女を攫って逃げることが出来たら、どんなにいいだろう。
けれど、その先に待っている未来を想像出来ないほど、僕は現実を見失うことなど出来なかった。
もっとも、僕が差し出した手など、彼女はきっと振り払うに違いないだろうけれど。
ほんのりと薄紅に頬を染めて、はにかんだ微笑を湛えた彼女は、父を見上げた。父もそれに応えて、今まで見たこともない優しい笑みを向ける。
それは何とも妬ましい光景だったけれども。
僕は、誓いの口付けを交わす二人に祝福を贈った。
それは多分、僕にとっての、子供時代との決別だった。
遺影や残された写真からも、その記憶に間違いのないことが分かる。
優しかったとか怖かったとか、可愛がってもらったとか邪険にされたとかいう思い出はまるでない。
そのせいか、母を亡くして、殊更恋しいとも寂しいとも思ったことはない。
ただ、常に、綺麗な人だったことだけが強く心に残っていた。
特に人の集まるところ、幼稚園の入園式だとかでは、まるで別の次元のイキモノのように綺麗で、それは多分、相当鼻持ちならない高慢さが滲み出ていたからでもあったに違いないと思い至るのは、随分後になってからのことなのだが。
あの日、彼女をどうして「ママ」と呼んだのか。
確かあの日は、習い事の先生がインフルエンザに罹患したとかで、急遽予定が変わった。
公園側の交差点で信号待ちをしているときに、ふと目に入ったのが、彼女だった。
母とはまるで似ていない、よく言えば素朴な、直裁に言ってしまえば地味で野暮ったい容姿だったにも関わらず、僕は咄嗟に車のドアのロックを開けて外に飛び出していた。
「ママ!」
彼女を離してはいけない。
何故だがその一心で、必死になってしがみついていた。
後になって思い返せば、あの時、母の、一分の隙もなく着飾った美しい母の虚ろな瞳が脳裏を占めていたのだった。
幸いにも、僕は子供の頃からそれなりに頭が良く回る方だったと思う。普段滅多に見せるこのない我が儘や癇癪を、ここぞとばかりに利用して、彼女を自分の世話係として置くことに成功した。
もっとも、その陳腐な策略を大人に見破られていないと思ってはいない。
とにかく、彼女が生きてそこにいるということは、何故か僕を酷く安心させた。
それからひとつきも経つか経たないかの頃だったか、仕事での揉め事が終息したらしく、久しぶりに父が帰宅した。
既に彼女の身上についてはきっちり調べ上げられていただろうし、森園から前もって話は聞いていただろう。そのせいか、彼女が僕の世話係になるという件はあっさり了承され、翌日には、森園からきちんと契約書も交わされたことを告げられた。
ああ、これで彼女は僕のものだと思ったら、これまで莫迦莫迦しいと思う半面、羨む気持ちが押さえられなかったことを、彼女に要求するようになっていた。
それは、母の代わり、だ。
入園条件がかなり緩やかになっていたとはいえ、僕が通っていた幼稚園は、いわゆる上流階級に属する家の子供が多く通っていた。だから持ち物ひとつとっても、随分な高級品ばかりで、何処ぞの店のガラスケースに収まっているようなものも多かったのだが、その一方で、手作り品というのももてはやされていた。
要するに、親の愛情のバロメータというわけだ。
最初は、幼稚園で催される夏祭りに一緒に参加して欲しい、というだけだったのだが、彼女が浴衣を縫っているのを見て、どうしても自分のも作って欲しくなってしまった。
久しぶりに駄々を捏ね、作ってもらった甚平は、誰に自慢するわけでもなかったが、来ているだけでも優越感に浸っていられた。
それが、多分、きっかけになってしまったのだ。
夏休みの終わり頃になると、近所の神社では、そこそこの規模で夏祭りが開催される。賑やかなお囃子や、子供たちの歓声が嫌でも聞こえて来るから、どうしたって行ってみたいという気持ちは起こる。でも、自分が置かれている立場や状況を子供心に悟っていた僕は、それを言い出すことが出来なかった。
けれど、その年はなんだか許されるような気がして、行ってみたいとせがんでみた。
もちろん最初は、急なことでもあるし、警護など色んな面から森園にも堀江にも、にべもなく却下された。が、珍しく早く帰宅した父が、何故だか許可を出したのだ。ただし、自分も同伴することを条件に。
仕度を整えて、いざ出掛けようと玄関に集まったときに、その理由を知った。
父が着ていたのは、彼女が縫っていた浴衣だったのだ。
別に、意地になってというわけじゃない。
でも、それ以来、僕はことある毎に彼女に何かを作ることを要求した。
ハンカチやハンドタオルには、イニシャルを刺繍して欲しいとか、弁当箱を入れる袋や、習い事に行く時のバッグだとか。
どうやら彼女は、手芸が趣味だったらしく、嫌がりもせず引き受けてくれた。
それらを目にした友人たちは、とても羨ましげだったし、実際に羨ましいと言う奴もいた。それは、どんなにか僕の優越感を満足させてくれたことだろう。
冬になれば、ふわふわの毛糸でマフラーを、そして手の込んだ模様の入ったセーターやカーディガンを編んでくれた。
この頃には、父が食事の席にいることが当たり前になっていた。
交わされる会話は、ほとんど僕が幼稚園であったことを話したことに派生することばかりだったけれど、時には二人にしか通じないようなこともあって、疎外感を持つことも度々あるようになるのに、さほど時間は掛からなかった。
小学生に上がったころから、父は彼女を頻繁に連れ出すようになった。
仕事柄、女性同伴を求められるパーティなどに招待されることが多いのは知っていたけれど、これまではそれなりに事情を弁え、同時に、周囲には誤解されないような相手を選んでいたはずだ。
父の指示で、あれこれと習い事をさせられていたようで、その甲斐もあったのだろう、次第に彼女は父の隣に在っても、気後れして俯くようなことはなくなった。慎み深く父に寄り添う姿は、周囲からの評判は上々だったらしく、新しいお母さまがいらっしゃるのね、などと訳知り顔に話しかけられることもあって、僕は大いに戸惑った。
最初に彼女を「ママ」と呼んだのは僕だ。
だからって。
母の三回忌の法要が終わるころには、彼女の立場は父の伴侶といところにおさまりつつあった。
父の指示で、エステだの作法の教室だのに通わされて、くたびれる、という愚痴を聞いて笑っていられたのは、その頃までだった。
地味で野暮った彼女は、もうそこにはいなかったからだ。
磨けば光る珠、何て言葉があるけれど、彼女はまさにそれだった。
母のように豪奢な薔薇や蘭を彷彿とさせる美しさではないけれど、野原に立つ白百合を思わせる、凛とした美しさを彼女は持っていた。
それを、父は最初から見抜いていたのだろうか。
それとも、父だからこそ、その魅力を引き出すことが出来たのか。
結局、僕は彼女を諦めるしかなかった。
歳の差は一五。それだけならともかく、相手は父だ。
勝てるはずがない。
身内の贔屓目を差し引いても、父は人を惹き付ける力に溢れていた。現に後妻に納まろうと画策する女性は数知れず。ビジネス面でもそうだ。父に取り入る前段階として、僕を懐柔しようとする輩は引きも切らなかった。
だから、少しずつ僕は外に目を向けるようになったんだ。
それを父がどう受け取ったのかは分からない。
そして今、目の前にいるのは、まさに白百合の如くの姿の彼女だ。
すらりとしたスタイルをより魅力的に見せるラインのドレスを身に纏い、父の隣に立っている。
……簡単に諦めるんじゃなかった。
後悔したところで、どうにもならない。
映画のように彼女を攫って逃げることが出来たら、どんなにいいだろう。
けれど、その先に待っている未来を想像出来ないほど、僕は現実を見失うことなど出来なかった。
もっとも、僕が差し出した手など、彼女はきっと振り払うに違いないだろうけれど。
ほんのりと薄紅に頬を染めて、はにかんだ微笑を湛えた彼女は、父を見上げた。父もそれに応えて、今まで見たこともない優しい笑みを向ける。
それは何とも妬ましい光景だったけれども。
僕は、誓いの口付けを交わす二人に祝福を贈った。
それは多分、僕にとっての、子供時代との決別だった。
(了)
2011.10.23(web拍手掲載小話再録)
Copyright (c) 2008- Sorazoko All Rights Reserved.