大学も冬休みに入って、自分では大丈夫だと思っていた科目の単位が一つ取れなかった事に釈然としないまま、そろそろ帰省の準備もしなければとぼんやりしていた夕方の事。珍しく電話が鳴った。携帯電話を持っていないのは、電話がない事と同義なのか、友人達から掛かってくる事など滅多にない。郷里の親とは前日に話したばかりで、怪訝に思いながら受話器を取った。
「はい」
「赤根か?」
 先輩の名城からだった。学部も学年も違う上に、同じサークルですら無い。そういえば、どうして知り合いなんだっけと思い返せば、多分、名城が購買で財布の中身をぶちまけてしまったのを、一緒に拾ったのが縁なのだろう。
「あのさー、もらい物が余っちゃって、知り合いに配ってるんだけど、これから行っていいか?」
「別にかまいませんけど……」
 思いもよらぬ言葉に、返事の言葉は濁った。
「じゃあ、あと30分くらいで行けると思うから、それくらいの時間に外で待ってて」
「あの、家の場所、分かるんですか?」
「暑中見舞いに書いてあった住所でいいんだろ?」
「はい」
「じゃあ、また後で」
 せわしない電話は、ぷつりと切れた。
 仕方ないな。
 赤根はしばらく時計とにらめっこをし、25分ほどしたところで、綿入れを羽織って外に出た。
 同じようなアパートが四軒並んでいると、さすがに住所を知っていても、探すのは面倒だろう。そんな事を思いながら、ブロック塀にもたれて、道の両側に時々目をやっていると、見知った人影を見付けた。向こうも見付けてはいるだろうに、歩調を早めるでもなく、悠然と近付いてくる。
「お前なぁ」
「はい?」
「男待つのに、その格好は無いだろう……」
「そうですか? 寒いんで」
 小さくため息を付いた名城は、ダッフルコートのポケットから包みを取り出した。
「ほい」
 受け取ったのは、小さな箱と、板状のもの。
「……なんですか?」
「こっちが本命なんだけどね」
 名城は板状の方を指差し、
「こっちは、まあ、お前も女だし? 使ってくれ」
 小さな箱の包みの方については、不可解な解説を付けた。
「じゃ、俺行くわ」
 いつものように、名城は赤根の髪をくしゃくしゃっとかき回す。
「お茶でも飲んでいきませんか?」
「いや、いーよ」
 確か、彼女さんがいるんだっけな。
 赤根は先日交わした会話の中で、そんな事を言っていた事を思い出した。
「わざわざ有難う御座いました」
「じゃあ、またな」
 ひょいと片手を上げると、寒いのか肩をすくめて、来た道をすたすたと歩き去る。その歩調は不思議と早かった。
 部屋に戻って包みを開けてみると、板状のものは、スイス製のチョコレートだった。小箱の方は、オードトワレ。少なくとも、赤根にはこれまでもこれからも縁の無さそうな高級ブランド品だった。
「……名城さん?」
 無闇に顔の広い名城の事、輸入業者の友人からもらったのかも知れない。知人に配って回る程度に。
 赤根は、それ以上考えない事にして、お茶の支度をすると、チョコレートの包み紙を破った。ぱきん、と一列分を割り、残りは先に冷蔵庫にしまう。一かけを恐る恐る口にすると、ホワイトチョコレート独特のまろやかな甘さが口に広がった。気に入りの紅茶にちょうどいい。そういえば、この紅茶、名城さんのお薦めで知ったんだったな、と綺麗な水色の出た液体を見つめた。
 一列分、四かけを食べてしまうと、しばらく逡巡した後、オードトワレの瓶をそっと開けてみた。
 ふわりと、清冽な香りが広がる。
 何も、特別な事じゃない。
 もらい物を配っていると言ったのだから。
 そう、だから、知らぬ顔でいるのだ。
 自分の恋心には。
(了)
2008.04.12


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