星月夜の森へ/番外編
── ReWind
逢魔が時
高層マンションの一室が、美雪の自宅兼事務所だ。
夕暮れともなれば、黄昏に沈みゆく地平と、ライトアップされたベイブリッジが見える、成金としてはありふれた居住地ではある。
尤も、美雪がその風景を楽しむのは、上々の契約を結んだ後に限られていた。
高揚した気分で眼下に広がる街並をを見下ろすとことは、自尊心をくすぐり、己を神と同一視させる錯覚と引き起こす。それは美雪にとって気に入りの男と寝るよりも深い悦楽をもたらす。
それを存分に楽しむ為だ。
商品になりそうな少女の仕入れは、繁華街でスカウトすることもあれば、借金の返済の為という名目で連れられて来ることもある。年に何度かは、オークションのようなものも行なわれていて、そこで、磨かれざる原石を見付ける美雪の審美眼には定評があった。
ほんの数日前も、誰も落札せず叩き売りのような値で買い取った少女を、極上の宝石に磨き上げ、同じオークションで数十倍の値が付いたばかりだ。
その後の未来など知ったことではないが、少なくとも場末の風俗店で借金の形に働かされるよりは、ましだろうと美雪自身は信じている。
彼女が、何年ぶりかで娘である如月の姿を見かけたのは、昼間の時間を商品の下見に費やした、帰りの事だった。
交差点で信号待ちをしていた鬨、制服姿の少女たちが目の前を通り過ぎて行く中に、その姿を見付けたのだが、特に目を引くものではなかった。
ブレザーにリボンタイというありふれた制服は野暮ったかったし、身長こそ平均値を上回っていたが、貧弱な体型に、およそ華やかさのない顔立ち。そのうえ表情も硬い。
他の少女たちは、より自分を可愛らしくみせようと、制服を着くずし、髪型に気を使っているのが見て取れる中で、その目立たなさは群を抜いていた。
どうして気付けたのか、美雪自身が首をひねるほどだった。
己の美貌を自認する美雪にしてみれば、仮にも自分の血を分けた娘の地味さに、落胆を覚える。
──自分があの歳の頃には、年上の男を何人も手玉にとって好き放題していたというのに。
あの家なら適当にやってくれるだろうしと、実に安易に娘を置き去りにした彼女ではあったが、一応、半年ほどしてから、様子を見に行ってはいた。自分が面倒を見ているよりは遥かにマシそうな環境だったから、まあいいかと、安心して今度こそ姿を消してしまったあたり、彼女の勝手さも極まっている。
それはともかく。
声を掛ける気などまるでなかったから、信号が変わると同時に、一方的な再会は終わるはずだった。
「車とめて」
そう嶋田に言ったのは、ほんの目の端に映った娘の姿を目に焼き付けようなどという母親らしさからでは、ない。
「どうしました?」
怪訝そうに尋ねた嶋田も、美雪の視線の先を追う。
群れを抜けて駆けてゆく少女の先には、おそらく大学生だろう青年がいた。
嶋田が思ったのは、そのそこそこ整った見目よりも、全体のバランスの良さだ。
あれは、女性にもてるだろうと思う。
整った容姿だとか、完成されたスタイルを持っていると、近付き難さが付きまとうものだが、彼の場合は、上手く部分的に崩し、一歩引いていながらも、扉は開けてあるような、コミュニケーションの解放がある。
だから、嶋田はその青年に美雪が目を付けたのかと思ったのだ。
が、美雪が見ていたのは如月の方で、もし、嶋田もその変化を目の当たりにしていたなら、その理由は簡単に分かっただろう。
完全に群れに埋没し、制服を着た案山子のようだった少女が、青年の姿を見るなり、若い雌鹿に転変したかのように駆け出したのだから。
この偶然が、結局その二週間ほど後になって如月に災厄をもたらす事になる。
夕暮れともなれば、黄昏に沈みゆく地平と、ライトアップされたベイブリッジが見える、成金としてはありふれた居住地ではある。
尤も、美雪がその風景を楽しむのは、上々の契約を結んだ後に限られていた。
高揚した気分で眼下に広がる街並をを見下ろすとことは、自尊心をくすぐり、己を神と同一視させる錯覚と引き起こす。それは美雪にとって気に入りの男と寝るよりも深い悦楽をもたらす。
それを存分に楽しむ為だ。
商品になりそうな少女の仕入れは、繁華街でスカウトすることもあれば、借金の返済の為という名目で連れられて来ることもある。年に何度かは、オークションのようなものも行なわれていて、そこで、磨かれざる原石を見付ける美雪の審美眼には定評があった。
ほんの数日前も、誰も落札せず叩き売りのような値で買い取った少女を、極上の宝石に磨き上げ、同じオークションで数十倍の値が付いたばかりだ。
その後の未来など知ったことではないが、少なくとも場末の風俗店で借金の形に働かされるよりは、ましだろうと美雪自身は信じている。
彼女が、何年ぶりかで娘である如月の姿を見かけたのは、昼間の時間を商品の下見に費やした、帰りの事だった。
交差点で信号待ちをしていた鬨、制服姿の少女たちが目の前を通り過ぎて行く中に、その姿を見付けたのだが、特に目を引くものではなかった。
ブレザーにリボンタイというありふれた制服は野暮ったかったし、身長こそ平均値を上回っていたが、貧弱な体型に、およそ華やかさのない顔立ち。そのうえ表情も硬い。
他の少女たちは、より自分を可愛らしくみせようと、制服を着くずし、髪型に気を使っているのが見て取れる中で、その目立たなさは群を抜いていた。
どうして気付けたのか、美雪自身が首をひねるほどだった。
己の美貌を自認する美雪にしてみれば、仮にも自分の血を分けた娘の地味さに、落胆を覚える。
──自分があの歳の頃には、年上の男を何人も手玉にとって好き放題していたというのに。
あの家なら適当にやってくれるだろうしと、実に安易に娘を置き去りにした彼女ではあったが、一応、半年ほどしてから、様子を見に行ってはいた。自分が面倒を見ているよりは遥かにマシそうな環境だったから、まあいいかと、安心して今度こそ姿を消してしまったあたり、彼女の勝手さも極まっている。
それはともかく。
声を掛ける気などまるでなかったから、信号が変わると同時に、一方的な再会は終わるはずだった。
「車とめて」
そう嶋田に言ったのは、ほんの目の端に映った娘の姿を目に焼き付けようなどという母親らしさからでは、ない。
「どうしました?」
怪訝そうに尋ねた嶋田も、美雪の視線の先を追う。
群れを抜けて駆けてゆく少女の先には、おそらく大学生だろう青年がいた。
嶋田が思ったのは、そのそこそこ整った見目よりも、全体のバランスの良さだ。
あれは、女性にもてるだろうと思う。
整った容姿だとか、完成されたスタイルを持っていると、近付き難さが付きまとうものだが、彼の場合は、上手く部分的に崩し、一歩引いていながらも、扉は開けてあるような、コミュニケーションの解放がある。
だから、嶋田はその青年に美雪が目を付けたのかと思ったのだ。
が、美雪が見ていたのは如月の方で、もし、嶋田もその変化を目の当たりにしていたなら、その理由は簡単に分かっただろう。
完全に群れに埋没し、制服を着た案山子のようだった少女が、青年の姿を見るなり、若い雌鹿に転変したかのように駆け出したのだから。
この偶然が、結局その二週間ほど後になって如月に災厄をもたらす事になる。
2009.11.03(webclap掲載物再録)
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