星月夜の森へ/番外編

── ReWind

無自覚な彼

 二学期の期末テストを一週間後に控えて、部活動休止期間に入ってから、放課後の教室はむしろ騒がしい。普段は、帰宅部はさっさと帰宅し、部活動に参加する者は部室に向かうのだが、教室のあちらこちらで、ノートの貸し借りだの即席テスト対策会議だのが行なわれている。
 このクラスは、委員長の妙にハイテンションな人柄に乗せられて、球技大会だのキャンプだのとイベントがあるたびに盛り上がってきたせいか、他のクラスに比べると結束力が高い。憂鬱なはずの定期テストですら、既にこのクラスではクラス平均点トップを目指すというイベント扱いだ。
 文化祭も体育祭もやたらと盛り上がり、下校時刻を大幅に破って担任教諭の頭を抱えさせたのはつい最近の話だが。  そんな中で。
 お前、ほんと名前と性格が一致してねーな。
 子供の頃から言われ慣れていることを、未だに言われる。
 春のように朗らかな子供であって欲しかったらしい母親に、冬人にすれば良かったと、ことある毎に愚痴られるのにもいい加減慣れた。
 実のところ、彼はとても穏やかな性格で、ごく普通に情を持った人間であり、少なくとも、クラスがイベントに盛り上がっているところに水を注すようなことをするようなこともない。ただ、無闇に表情が乏しいことと、華やかさは皆無なくせに、やたら整った顔立ちが、周囲には酷く冷たい印象を与えるようだった。だからか、彼を親しげに名前の方で呼ぶ友人は少ない。
「ハル、悪い、あとは任せた!」
 不意に名前を呼ばれて、振り返ると、その少ない友人のひとりが、慌てて教室を駆け出してゆく背中が見えた。 「あー、孝史の奴、相っ変わらずだよなぁ……」
 いつの間にか、春人のすぐ脇に立っていた山室晃司は、苦笑を滲ませて呟いた。彼と孝史は小学校からの付き合いで、口にはしないが、いろいろと事情にも通じているらしかった。まだ二年足らずの付き合いと入っても、あれほど慌てて帰って行く姿を見れば、春人にも多少の事情は想像が付く。
「サラちゃんがらみ?」
「風邪引いて寝込んでんだって」
 それで、急いで帰って行ったらしい。
「つーわけで、この三角関数なんだけどさー」
 晃司はそれ以上言及することなく、数学において孝史と学年トップを争う春人の前に問題集を広げた。

 春人が孝史と親しくなったきっかけは、ばかばかしいほどにありふれたものだ。
「夏と冬もいたら面白かったかったのにな」
 入学式を終えて、教室に戻って名簿順に席に着いたときに、彼は愛想の良い、かといって媚びなど欠片も無い笑顔でそう言ったのだった。
「ああ、そうだね」
 本人は、精一杯愛想良く返したつもりだったのだが、余り其の努力は報われなかったらしいことを知ったのは、孝史と随分親しくなってからのことだ。
 相澤春人と秋津孝史。名簿や最初の席順で並んだだけでなく、身長もほぼ同じで、体育の授業などで組むことも多かったこともあって、自然と一緒にいる時間が長くなっていた。気が付けば二年生も同じクラスになり、周囲からは親友同士と目されていた。

「ここで、公式を使うと……」
 説明をしながら、さらさらと問題を解いてみせる。
「まてまてまて、だからなんでそーなる!?」
 頭を抱える晃司に、
「……とりあえず、公式覚えないと」
 などとやっていると、
「あれ、秋津君は?」
 と、隣のクラスの堀端琴音が教室の後ろの扉から顔を覗かせた。
「秋津なら、帰ったぞ」
 クラスメイトのひとりが答え、
「もう?」
 怪訝そうに首を傾げる彼女に、
「約束してたの?」
 他の女子が声を掛けた。
「そうじゃないけど……」
「まあ、諦めなよ、サラちゃんがらみだから」
「……また?」
「そう、『また』」
 その声にやや険を感じて、春人はその声の主にちらと目線を走らせた。
 ああ、確か一年の三学期に付き合ってたのは……。
 こそりと春人は溜め息を吐く。
「う、わー。新旧対決かよ、えぐいな」
 あっさりと晃司がそれを口にした。
 堀端琴音が孝史と付き合い始めたのは先月のことだ。
 誰もが、ああまたか、としか思っていないのは公然の秘密というもので。
 決して不実な性格ではない。むしろ、誠心誠意真面目に付き合っているのは誰もが認めるところだ。
「えーと、五人……六人目だっけ」
 ひい、ふう、みい、と指を折り、晃司は眉根に皺を寄せた。
「いや、七人?」
 どうやら孝史が付き合って来た彼女の数を数えているらしかったが、実のところ、春人はあまり覚えていない。スパンが短過ぎるのもあるし、結局のところ、どうせすぐに別れるのだろうと、ほとんど気に留めていないからだ。それに、必ず孝史が振られるという形にも関わらず、その本人が落ち込んだりする様子もないのだから、放っておくに越したことはないと思っていた。
「今度はどれだけ持つのかね」
 険悪な空気を残して去っていく琴音に、好奇心に満ちた目を向けて、晃司は苦笑する。
「さあ」
 軽く答えて、春人も帰宅すべく立ち上がった。

 さすがに秋も深まって来ると、日が落ちるのが早い。
 春人の自宅は市外にある。一年生の時は自転車で通っていたのだが、開かずの踏切に何度も苦渋を舐めさせられて、二年生からはたった二駅ではあるが、電車通学に切り替えた。
 薄暮の中、やはり駅の周辺は明るい。参考書でも見ようかと本屋へ立ち寄る途中で、覚えのある姿を見付けた。
 声を掛けようと踏み出した足を止める。
「まったく、いくら医者が嫌いっても、あんまり我を張るんじゃないよ」
 おそらくそこから出てきたのだろう、個人医院の前で、少女の首に丁寧にマフラーを巻き直してやっているのは孝史だった。
 熱が高いのか、少女の頬は赤く、潤んだ目は今にも閉じられそうだ。
 春人が少女の姿を見たのは、一度、孝史の自宅に行ったときに挨拶をした時と、休みの日に偶然会った時ぐらいで、特に印象には残っていなかったが、その少女が孝史が溺愛しているという妹だと推測するのは容易かった。
 そっと少女の頬を撫で、少しかがみ込んでその顔を覗き込む孝史の表情は、付き合っている彼女に見せるものより、遥かに甘く見えたのだから。
 先に孝史が跨がった自転車の荷台に腰掛けた少女は、慣れているのか孝史の腰にしっかりと腕を巻き付けた。
「ちゃんとつかまってろよ」
 その腕を確かめるように軽く叩いたあと、自転車をこぎ出した孝史の背に頭を預け、目を閉じているその顔は、安らいで微笑んでいるように見えた。
 少女の医者嫌いが、熱が三十九度に届こうかというくらいまで上がっていても黙っているような、筋金入りであることを春人が知るのは、翌日、孝史の愚痴によってである。

 孝史が堀端琴音に振られた、という話は、三学期の始業式当日にはもう広まっていた。
 クリスマスに、彼女よりも家族を優先するような彼氏は願い下げなんだってさ、と孝史は笑う。
「……なあ、秋津は無自覚なわけ?」
 ほんの少し、意地悪な気分で春人は聞いてみた。
「何が?」
 が、返って来た反応には、しらばくれようとかはぐらかそうという意図など欠片もないとぼけたもので、春人の質問の意味そのものが分かっていないようだった。
 まあ、物事はなるようになるだろうし、納まるところに納まるものだ。
 春人は何でもないと軽く肩を竦めた。
(了)
 
2009.01.18


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