星月夜の森へ/番外編

── ReWind

カイン

 美鶴の妹がいなくなったのは、初冬の、やたらと風の強い日だった。
 帰宅すると、母親が名簿を手繰りながらひっきりなしに、電話を掛けまくっていた。
 友達に誘われたから美術館へ行くと言っていたことは覚えていた。母にもそう言って出掛けたらしい。
 それっきり、帰ってこない。
 最後に目撃されたというのは、通学でも使っているターミナル駅の交差点付近。なんでも、転んだのを誰かに助けてもらっていたらしい。その直後、信号無視をしたワゴン車が交差点に突っ込んで来て、騒然としたその場が納まった時に、そこに妹の姿は無かったのだという。
 不意に美鶴の胸の奥に湧き上がったのは。

 ──こんなかわいそうなわたしをみすてるわけがない。

 友人のひとりに話せば、半日もしないうちに彼の耳に届くだろう。
 そして、きっと心配して駆けつけてくれるに違いないと、美鶴は疑いもしなかった。
 有力な情報すら得られないままに一週間が過ぎ、やつれた様子を見せながらも、普段と変わらぬよう振る舞う美鶴に、誰もが同情的だった。
 そして、こんな時にこそ側にいるべき彼が、美鶴の側にいないことについて何も話さないままでいると、あっという間に噂は広まった。


 この騒動のおかげで、傷心した自分などというものに愚図愚図と付き合っている余裕などないことは美鶴にとっては幸いだった。それに、多少落ち込んだ姿を見せていても、全ての理由をこのことが引き受けてくれたし、周囲はとても同情的だったからだ。
 当初、誘ったという友達などいなかった為に、いろいろと憶測が飛び交ったものの、美術館の防犯カメラにその姿が映っていた事と、指紋がついたチケットが見付かった事で、どうやら美術館からの帰り際に、何らかの事故か事件に巻き込まれたのだろうということになった。
 妹にそういうところがあることには気付いていた。
 例えば、小さな頃は、絵を描くのが大好きだったくせに、気が付けばすっかり辞めてしまっていたこと。
 美鶴があれこれと手や口を出すのがお気に召さなかったのかと思うと、その頑さが気に触った。
 それが伝わったのか、やがて絵を描くことに関して、美鶴が疎んでいるとまで思い込むようになっていた節がある。
 何も友達に誘われたとか口実を作らなくても、美術館へ行きたいなら、勝手にいけば良かったのだ。
 このささいな嘘のせいで、美鶴の妹はされなくても良い誤解を散々されて今に至る。
 お嬢様学校として名高いところへ通う妹は、髪こそ艶やかな黒髪だったが、顔立ちは四分の一入った北欧の血が強く出たのか、端的に言えば派手な顔立ちをしていた。きめ細やかでニキビ知らずの白い肌、ふっくらとした唇は口紅や色付きリップなどしてもいないのに、赤く艶やかで、あれほど子供じみた雰囲気でいなければ、それがもっと際立っていただろう。
 近所の人にも挨拶を欠かさない、礼儀正しい子だったし、塾や習い事で遅くなるようなことはあっても、夜遊びなど一度もしたことはない。それでも、いつの間にか、きっと夜遊びで出会った男と家出をしたのだろうと真しやかに噂されているのだ。
 おかげで、美鶴まで裏では何をしているか分からないと、近所で陰口を叩かれたのには心底辟易していた。
 これまで、完璧な姉であり続けたというのも水の泡になったことが、何より口惜しかった。
 妹が生まれた時、自分よりも妹の方が可愛いから、より愛されるのだと思っていた。
 それが、愚かな誤解であったことに気付くのに、さほど掛かりはしなかったけれど、それでも、妹の方が甘え上手でもあったのか、誰からも可愛がられたし、一方、しっかり者というイメージが出来てしまった美鶴は、褒められこそすれ、可愛がられ甘やかされるということから縁遠くなっていた。
 褒められるようなことをし続けなければ、誰からも相手にされないのではないか。
 幼心に染み付いた恐怖は、なかなか拭うことは出来ない。
 妹の出来が悪いことは、苛々させられる反面、安心させてくれてもいた。
 この妹が、どれほど努力をしようと、私には何も叶わないのだと。
 世話が焼ける妹であればあるほど、妹を可愛がる事が出来たのも本当だ。
 でも、妹がいなくなってくれて、ほっとしている。
 だからといって、努力を怠るような真似をするほど愚かにはなれない。相変わらず、帰らぬ妹の身を案じ、憔悴する家族の為に健気に明るく振る舞う姉であり続けることをやめることなどできやしないのだ。
 そこには、傷心の自分をやさしく支えてくれる存在が必要だった。
 少なくとも彼女はそう信じている。
 拒絶され、それに縋る姿が哀れに映ることすらかまわない。
 むしろ利用して、周囲を味方につけて固めてしまえば良いのだから。
 あの、無条件に与えられる愛情を注がれる対象になれれば、きっと理想の姉でいられるのだと疑いもしなかった。




 ──それは執着以外の何ものでもなかったのだ。
(了)

2011.10.22(webclap掲載物再録)


inserted by FC2 system