星月夜の森へ/番外編

── ReWind

万聖節

「とりっくおあとりーと!」
 町内会で企画されたハロウィン行列も、今年ではや十年。
 ようやく年中行事として、十月の最終土曜日の夕方に、子供たちのこんな声が響くのも馴染んで来た。
 おどろおどろしい怪物や幽霊の姿はほとんどなく、魔女や黒猫、カボチャをモチーフにした手作り衣装を来ていたり、お伽話のお姫さまやらアニメや某有名ファンタジーの登場人物の格好をしている子供もいる。
 町内会の婦人倶楽部では、ハロウィンの衣装作り講習会もあるから、その凝り方や出来不出来はともかくとして、手作り衣装を着ている子供が多かった。
 早い話、ハロウィンにかこつけた仮装イベントだ。
 如月が着ていたのは、久美が手作りした黒とオレンジのワンピースだ。ご丁寧に、背中にはコウモリの翼がついている。頭には、つば広で先のとんがった、いわゆる魔女の帽子が被さっている。
 小学四年生になっても、不遇な生活の影響は大きく、同学年の子供に比べるとかなり小さい。
 手を引いてやるほど過保護にはなるべきではない、とは己を戒めつつ、とりあえず、受験勉強を横において、孝史は子供たちの後ろから監督役として付いて回る父兄の中に混じっていた。この監督役たちも、当然仮装が義務づけられていた。
ちなみに孝史の格好は一応吸血鬼である。黒尽くめの格好なので、そう見えないこともないとうい程度だが、他のご父兄は、血糊をたらしたゾンビだとか、頭にねじの刺さったフランケンシュタインだとか、シンプルに頭から白いシーツを被っていたりだとか、狼男の被り物をしていたりだとか様々だ。
「とりっくおあとりーと!」
 訪問して良い家の門先には、ジャック・オー・ランタンが置かれている。
 そこでお菓子をもらい、その後、ハロウィンパーティーをするところも多い。孝史も、去年までは友人たちとハロウィンにかこつけたパーティをしていたものだ。
 けれど、如月は誰からも誘われなかった。
 集合場所からの帰り道、如月の手を引きながら、それも仕方がないかと孝史は思う。
 同情からだろう誘いの声は、久美に対してあったことはあったのだ。
 でも、上っ面の同情で誘われたところで、親から何を吹き込まれているかも知れない子供たちの中に如月を放り込むことなど、出来るはずもなかった。
 それに、如月は強がりでもなんでもなく、寂しそうでもないんでもない。
 カボチャ尽くしの夕食が待っている家に帰るのが、とても嬉しそうな顔をしていた。
 
 家に帰り着くのを待ち構えていたように、外は冷たい風が吹き始めた。
 風呂上がりで濡れっぱなしの如月を髪を丁寧にタオルドライして、ドライヤーを掛けた後、ブラッシングをしながら、
「今日はあの世から、ご先祖様とか家族が尋ねて来る日なんだってさ。お化けや妖精も出てきたりする不思議な日なんだよ」
 そんな話をしたのは、ざわざわと庭の木々を震わす風が強く、足早に流れてゆく雲の隙間から見え隠れする月が、少し不気味に見えたからかも知れない。
 いつもより、やや早い時間に如月を寝かしつけた後、孝史は机に向かった。
 今日くらいは、と思って受験勉強をさぼってしまうと、このあともずるずるとサボリ癖が付きそうな気がしたからだ。
 天気予報では、強い寒気が入って来てこの秋いちばんの冷え込みになるのだという。
 その日のノルマを終えて問題集を閉じる頃、孝史は足許の冷たさにそれを実感した。
 如月は、布団の中に潜り込んでしまっている。苦しくないのかと心配になるが、どうやら寂しい夜をやり過ごす為の癖らしく、夏場でさえタオルケットの中に潜り込んでいる。もっとも、頭隠して尻隠さずの状態になっていることもままあるのだが。
 
 まだ半分以上は夢の中で、如月は温かさを求めて手を伸ばした。
 なんだか寒くて、そうせずにはいられなかったのだ。
 触れたものは、ほわほわで、すべすべしていて、いちばんお気に入りの毛布よりも、手触りが良い。
 身を寄せて顔を埋めると、温かくてこの上なく心地良い。
 ……あれ?
 僅かな疑念が、意識をどうにか浮上させた。
 今、自分が触れているものは、なんなのだろう?
 もそもそと身を起こすと、カーテンの隙間から射している僅かな月明かりに、部屋の中がぼんやりと浮かび上がっている。
 ……えーっと。
 自分の傍らで眠っているのは、孝史のはずだ。
 けれども、そこにいたのは、思いもよらぬものだった。
 ……でっかい猫。
 淡い月光を弾く白銀の毛並みの。
 ……動物園で見た、豹に似てる、かな。
 逞しい脚に鋭い爪。
 猫にしては面長な顔に、あまりに精悍な体躯。
 だいたい、いくらなんでも、こんなに大きな猫がいるわけがない。
 そろそろと手を伸ばして、毛並みを撫でてみても、目覚める様子はない。
 お腹のあたりが、ゆっくりと上下している。
 ……まあ、いいや。
 ぱふっとためらいもなく、如月はそのでかい猫に寄り添って、胸のあたりに顔を埋めた。
 ……あったかいし、きもちいいし。
 お化けや妖精が出て来る不思議な日だって、孝にいが言ってたし。
 再びの眠りは、簡単に訪れた。

 ぬくぬくとした温かさの中で目覚めた朝ほど、幸福な気持ちになることは滅多にない。
 少なくとも如月はそうだ。
 朝の天気予報で、昨夜から今朝に掛けてのこの秋いちばんの冷え込みを記録したことを告げていた。
 北の地方では、もう降雪があったらしい。
「孝にい、猫に化けられる?」
 起きぬけに、至極真面目な顔で問われて、
「……無理」
 至極真面目に孝史は答えた。
 不思議そうに如月が首を傾げた理由を、孝史は知る由もなかった。
(了)

2009.10.31(12.24再録)


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