星月夜の森へ/番外編

── Redundancy

福音

 自慢じゃないけれど、あたくしはとても影が薄い。
 カーラスティン国第一王女だというのに。
 側室の子だから?
 とんでもない。
 御正室のディーナさまの御子であるラエル兄さまと変わりなく、あたくしと母を同じくする弟のオルティ共々、とても大切にされている。まだ小さいから甘やかされているけれど、オルティの為に用意された教師は選りすぐりの人たちばかりだし、その内容もラエル兄さまが幼少の頃から受けて来たものと遜色ないものだ。
 あたくしも、自国のことだけでなく、他国の言葉、習慣、作法、歴史なども叩き込まれている。あまり表立って口出しするのは佳しとされないけれど、知らないでは済まされないこともあるのだということで、ラエル兄さまたちに施されている帝王学の一部もだ。
 ディーナさまは、お身体が弱く、療養地として名高いメリアーダの別邸で過ごされていることが多く、あたくしの母であるパエラが何かとその代行をしていることも無関係ではないのだろう。
 そう思うと、ディーナ様がメリアーダに引き蘢られているのは、あたくしたちの為なのかもしれないけれど、普段の奔放さからすると、なにかと面倒ごとの多い王家に縛られているのを厭っているだけかもしれなくて、結局、あたくしたちはディーナさまに深い恩義を感じるでもなく、なんとなく、自由な気持で暮らしていた。
 そんな日々に小さな変化が起きたのは、ルサリアさまという、ラエル兄さまのご友人が現れてからのことだ。彼はラエル兄さまとほぼ同い年で、父王の妹君であるカリスさまの後見で、城に住まうことになった。
 ラエル兄さまとは対照的な、線の細い方で、やわらかな微笑みを持っていらっしゃったから、人見知り気味なあたくしも、ルサリアさまとお話しするのが、日々の楽しみになった。だから、【金の小鳥】でいらっしゃるヒナコさまとも仲が良いと知ったときは、自分でも戸惑うほど動揺した。
 ラエル兄さまとヒナコさまの仲の良さ……と言ったら、多分ヒナコさまはお怒りになるに違いないけれど、兄さまが全く外面を取り繕うところなくヒナコさまに接しているのを見たときは、兄さまをとられてしまうような寂しさを感じただけだったから、多分、あれは初めての恋情、嫉妬というものだったのだろう。
 言葉にすこしルウェルトの訛りが入っていたけれど、まさかルウェルト皇国から命を狙われて逃げてきた皇子だと知ったのは、ルウェルト皇王急逝の報が入った時のことだった。
 酷く思い詰めた顔をしたラエル兄さまが、あたくしに言ったのだ。
「ルウェルト皇国第二皇子と婚姻を結んで欲しい」
 あたくしの歳であれば、婚約していてもなんら不思議ではなく、むしろそんな話のないことの方が、不自然なくらいだった。
だから、もしかしてこのまま、第一王女の存在意義など全く無視されたまま、嫁き遅れと誹られる前に、適当な貴族のところに降嫁させられるのだとばかり思っていたくらいだ。
 現に、王室とつながりを持ちたがっている貴族の子息からは、手紙や贈りものが度々届けられたし、社交の場では蝶よ花よと持ち上げられて、居心地の悪い思いをさせられていたし。
 外見は有り難いことに母様の美しさをある程度は受け継ぐことが出来たから、ある程度のお世辞であれば受け取ることも出来るけれど、ものには限度というものがあって、言葉を額面通りに受け取るおばかさんと思われているかと思うと、何とも言えない憤りが胸に溜まっていて、友人たちのように誰かを恋い慕う気持ちなど湧いてくるはずもない。
 おかげで、友人たちとのお喋りが、そういう話が中心になってくると、それにうまく参加出来ないあたくしは、少しずつ居場所もなくなってしまったのは、とても寂しかった。
 父王からではなく、ラエル兄さまから伝えられたことに戸惑いはあったけれども、カーラスティン国第一王女として、否やという言葉はありえなかった。
少なくとも、あたくしはそう思っていた。
 すんなりと首を縦に振ったあたくしに、
「今は、婚約だけで良い」
そう言って、ラエル兄さまはルウェルト皇国が、皇位継承を巡って非常に醜い争いをしていること、それにルサリアことサリューさまのお命を狙っているのが、他のご側室であるだろうことなどを、包み隠さず語ってくださった。
「友人としてしてやれることが、これしかないのだ。お前という、カーラスティン国第一王女を婚約者に持てば……」
「簡単に命を奪うことは出来なくなりますわね。そうなったら、カーラスティンの王室は黙っていませんもの」
 ラエル兄さまの言葉を継いで、あたくしは満面の笑みを浮かべてみせた。
 だって、本当に嬉しかったのだもの。
 影の薄い王女に、こんな重責を背負わせてくれたことが。
   
 後になって、ラエル兄さまが出来るだけあたくしに王女としての負担が掛からぬよう、こっそり尽力して下さっていたことを知った。
 ディーナさまの代わりに、母のパエラにいろいろと苦労を掛けてしまっている分、自由に暮らせるようにということだったけれど、その分、兄さまの肩にいろんなものが乗っていたかと思うと、少し切ない気持になった。


 ルウェルト皇国といえば、カーラスティンとは古くからの友好国で、前王であるオーセベルお祖父さまの御正室ユフィリアさまが、ルウェルト皇室から輿入れなさっているから、血筋からしても近しい存在だ。
 穏やかな気質で平和を好む国。
 サリューさまがどんな方なのか、きちんと見極めていたわけではないけれど、さほど辛いことにはならないだろうと、カーラスティンの、実はかなり風通しの良い王室で暮らして来たあたくしは、暢気に考えてもいたのだった。
 そう、ルウェルト皇室の格式の高さというのは……実に実に奥深いものであることを、あたくしは知らなかったのだ。
 でも。
 自由に恋愛して、その相手と婚姻を結ぶことなど出来なかったはずのあたくしにとって、ルウェルト皇国への輿入れは、おそらくもっとも幸せな選択だったと自信を持って言える。
「ラウィニア殿」
 優しい声で、サリューさまがあたくしの名を呼ぶ。
 サリューさまにもいろいろな葛藤があっただろう。
 優しいかただから、自国の醜い争いにあたくしを利用することだとか、ヒナコさまのことだとか。
 あたくしだって、疑心暗鬼に陥らなかったわけじゃない。
 でも、そんな時期はとうに過ぎ去って、今は向けられる温かな微笑を、差し出されるその手を、信じている。
「お祖母さまがいっしょにお茶でもどうかと」
 皇太后エイリィさまは、気難しく厳しいところもおありだけれど、とても優しいかただ。
 ルウェルト皇室では常識とされている細々としたこと、時に侍女にすら失笑されるような当たり前のことを知らなかったあたくしを、一度も嘲うことなく、丁寧に教えてくださる。サリューさまの母君でいらっしゃるエラーラさまは、そのあたりのことに容赦がなく、嘲笑われたことは数知れないけれど。
「キノアに贈るものを相談したいとおっしゃっておられた」
 エイリィさまがいらっしゃる中庭へ向かう途中、サリューさまに告げられた。
 サリューさまの兄であり、現在ルウェルト国軍の総大将を務めるキノアさまのご内室が身籠られたという知らせがあったのは、一昨日のことだ。
 エイリィさまのご相談というのは、手編みの靴下を贈りたいということだった。
 手ずから作ったものを贈り、祝福するという習慣は、実は古くからあったそうなのだが、前皇王の母であるアルテナさまが非常に不器用だったために、周囲が遠慮をして、その習慣を封じてしまったのだそうだ。故に、エイリィさまは、貴族の子女が普通にたしなんでいるはずの編み物や刺繍など、全くしたことがなかったのだという。
「妾も器用とは程遠いのだが……」
 相談する相手として、元は外のものであるあたくしに白羽の矢は立てやすかったのだろう。それは、とても嬉しいことだった。編み物だの刺繍だの、ちゃんと学んでおいて良かったと、この時ほど思ったことはない。
 ゆっくりと丁寧に。
 あたしが出来た助言はこれだけだ。
「編み物も家族を作ってゆくことも、似ておるの……」
 目を飛ばしてしまったりして何度も編み直しを繰り返しながら、エイリィさまはおっしゃった。
 時間は掛かったけれど、エイリィさまの思いが籠められた靴下は、初めて作ったとは思えないほどの一品に仕上がった。
「さて、次は、そなたの為に……、いつになるであろうな?」
 楽しげに微笑まれて、サリューさまと一緒に顔を見合わせ、顔から火が出る思いだったけれど。
 いつお伝えしたら良いだろう。
 予感があることを。

(了)
2011.10.22(webclap掲載物再録)


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